[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。
4
来た道をだいぶ戻って、トンネルを何度かくぐって。
聖の記憶にあるところに着いてからは聖に任せて。ちょっとした峠を越えて海沿いに出て、町の狭い県道を幾度も折れながら進む。
時折家々の切れ間から海が見える。
右手に見え隠れする海がいよいよ近くなって来たところで、小さな岬へ出る道へと折れた。
傍らは漁港になっていて、トタンの小屋の向こうには何十隻も漁船が並べられている。
「ずいぶん遠くまで来た感じね」
「どう?」
「良いところじゃない」
今度は左に折れて、岸壁沿いのまっすぐな道に出る。突き当たりは海にぶつかってもう一度折れているから、小さく突き出た陸地の突端のような場所なのだろう。
あまり人が来るところではないのか、釣り人の姿さえない。
「着きましたよお嬢様、っと」
車を止めて聖が笑う。
「私がお嬢様なら聖はなんなのかしらね」
「無論、執事でございましょう?」
上半身だけで恭しく礼をする。仕草自体は悪くないけれども。
「お嬢様をカーナビがわりにする執事なんて世が世なら大変よ?」
「お嬢様、どうか命ばかりはお助けを」
「ふふっ、どうしようかしら?」
もし仮に、私がお嬢様だったら――たぶん、今とあんまり変わらない対応をしていそうだ。
「わ、楽しそうだ。きっと使用人をいたぶって遊ぶ想像をしていたのね……恐ろしいあるじ様だこと……まあ!」
一人で声色を使い分けて三役。
「そう、聖はそんな風に扱われたいのね」
「や、遠慮します。とりあえず降りよう」
「ええ」
車のドアを開けると、空気の色が変わった。
「いい風」
潮の香りに彩られた風が、穏やかに吹きつける。
岸壁に近寄ると一層風が強くなる。波は静かに凪ぎながら、傾きかけた陽の光を反射し、鮮やかな模様を水面に描き出す。
正面を見ると、まばらな岩の向こうは水平線まで海が延びている。右手には、小さな島と灯台。
「小さい時、叔父さんに連れてきてもらったんだ。綺麗な割にあんまり人がいないからね」
「聖の小さい頃……見てみたかったものね」
「あんまり変わらないわよ? 江利子と喧嘩してたし」
「ぷっ」
今の姿のまま小さくなった聖と江利子が喧嘩している図。容易に想像できて、思わず吹き出してしまう。
「どう?」
「あの島って……人いるのかしら?」
パッと見そこそこの大きさに見えるから、住めば十分住めそうだけど。鳥居があるなら神社だってありそうなものだし。
「無人島だったかな。あの鳥居はね、鎌倉時代に龍の神さまを奉って立てられたんだって」
「海を護ってもらおうってことかしら?」
「そう。鎌倉とその回りの一帯の海を護ってくれ、って当時の偉い人が思ったんでしょうね」
なるほど。三方の山と残り一方の海だ。海の平穏ばかりは、神頼みでもするしかない。
「それで、その話を聞いて、小さい時の私は思ったわけよ。龍神様ならもっとこう、世界中とかデッカい所を護ってくれないのかな、って。鎌倉あたりだけなんてケチなこと言わずにさ」
聖の横顔を見る。その目は、鳥居よりさらに遠くの虚空を見ている。
「でも、なんだか……今なら、分かる気がするんだよね」
私の方に向き直ったその表情は、何かを悟ったような、淡い微笑。
「聖……?」
「守れるものなんて、そう多くはないってこと」
すっ、と近づいて、私の両手を取る。
「ね、蓉子。今なら私、貴女の両手をとって、上手く踊れる気がするんだ」
至近距離で私を見つめる瞳は、少しだけ不安げに揺れている。
「どういう意味な……ん、むぅ……」
言葉を遮られた。唇をふさがれた。
あまりにも唐突な口づけ。なんで。なんで口づけるの。
そんな風にされたら、私は間違えてしまうだろう。聖が私の手を取って。それで恋を始めてみても良いんだ、って。
長い口づけ。触れ合ってるというその事実だけで、心臓が突き上げて、どこか遠くに消えてしまいそう。
初めてのキスはレモン味なんていうけど、本当だったかといえば。味なんて分かるはずがない。
ただ、熱だけが伝わってくるのがやっと分かる。
「こうだよ」
唇が離れる。潮風が私たちを分かつ。
「聖……なんで」
私の頬を、涙が伝っていた。自分でも意味が分からない。
「嫌だった?」
聖の表情が途端に曇る。縋るような悲しげな瞳。それを見て、私は確信できた。
たぶん、今は両手を取って、ばかみたいに舞い踊る時なんだ。
「ううん、そうじゃないのよ。そうじゃない」
急に口づけた聖。その気持ちは、きっと私も同じなんだ。さっきだって、ドキドキしてばかりで全然嫌じゃなかった。
「嬉しいんだと……思う、の」
聖が自ら、私にこうして口づけてくれた、ってこと。
これからもっと近い隣にいられるんだってこと。
「素直に受け取って、良いのよね?」
「もちろん」
「良かったわ。それじゃあ」
「え、よ……」
今度は私から唇を奪う。
私の名前を呼びかけた聖が、目を見開いて驚いてる。
唇を貪るように吸いつく。
そのまま、息が苦しくなるぐらいに。離してなんてあげない。
舌を入れる勇気は、流石にないけれど。
「ふぅ」
「……蓉子、大胆ね」
「そう?」
ばつが悪そうに私を見ている聖。
見つめ合い続けるのもなんだか間が抜けているので、また海を見る。
まだ感触の残る魔法がかかったような熱い唇を、海の味の風が徐々に覚ましてく。
「ねえ。道間違えたの、わざとだって言ったらどうする?」
聖が妙なことを言い出した。
「なんでわざわざ?」
「蓉子の寝顔が見てたくて」
「……ばか」
そんな理由。そんな、可愛らしい理由で道を間違えられたって、私はただ嬉しいだけで、でもどうして良いか分からなくて。
頭に上った血は、思考じゃなくて顔を染めるだけにしか使われてなくて。
「ごめん、冗談」
おおかた私が怒ってるとでも勘違いしたんだろう。だけど。
「聖。今のを冗談にする方がタチ悪いわよ」
「ああ、そうなのかな……でも、今も可愛い顔が見られて満足」
「ばっ……ぃ、いいわよ」
反論するからいけないんだ。
「え?」
「聖になら、どんな可愛い顔見られても良いの!」
「蓉子……え、えっ」
みるみるうちに、聖の頬が紅潮していく。どうして良いか分からないって困り顔だけど、口元は幸せそうに緩んでて。
「今の聖、とってもいい表情よ?」
「ひ、ひどくないそれ?」
口をとがらせても、何だか嬉しそう。もっといじめてみたくなるような。
「どっちがよ」
海は、さっきより激しく輝いていた。時間によって、その姿を段々変えていくのだろう。
「ねえ、聖。ここって、夜来たらどんな感じなのかしらね?」
「見たことないねー……それじゃ、夜になったらまた来てみる?」
「それが良さそうね」
さて。夜までどこで時間を潰そうか。
きっと、どこだって構わないんだ。
そこが、素敵な私たちの場所になるから。