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白い順列

                    *

 

 今日からは、試験期間なので山百合会の活動はお休み。お姉さまと一緒にいられる時間が短くなるのは、普段の乃梨子なら嫌がるところだけれど、今日に限っては少しだけありがたかった。志摩子さんの顔を見ていても、何だか頭が余計混乱しそうだったから。

 放課後、帰宅部のラッシュにぶつかるのにも構わず、真っ直ぐにM駅に向かうバスに乗り込んだ。この時点では、まだ寄り道をする気はあまりなかったはず。

 いくら人形が気になるとは言っても、気になるだけであって、必ずしも買いたいわけではないのだ。今行ってどうにかなるという話でもない。乃梨子の中の論理的な部分は、そう結論づけていた。そして、乃梨子自身もその選択に従おうと思っていた。

 問題は、M駅でバスを降りてからだった。歩いて帰るべきところを、なぜだか切符を買って、ふらふらと改札に入ってしまっていた。

 ようやく我に返ったのは、発車待ちをしている電車の中。

 乃梨子は無意識にため息をついていた。なんで、私はこんなことをしているんだろう。

 いろいろ考えた結果として人形を買おうと思ったら、買えるだけの金額は財布に用意してきていた。

 だけど、ハッキリとそう考えたわけではないのに買いに行く、というのは何か違う気がする。かといって買わないでまたただ見に行って帰ってきたいのか……それは自分でも良く分からなかった。

 ただ、行けば何か乃梨子自身の中で呪いが解けるみたいなことが起きやしないかと期待しているのかもしれない。

 元々何が原因で悩んでるのか分からないのだから、行動が手探りになってしまうのはある程度仕方ないけれど。それにしても、他力本願気味だな、と思った。

 N駅を出て、アーケードの中を歩く。

 昨日より一段と冷え込んでいる。街行く人々の格好も随分と冬めいてきて、昨日と同じ場所でも何か違うところみたいに感じられた。

 そして、不思議なビルの最上階に向かって、逸る気持ちを抑えながら、一段ずつ階段を上っていく。一番上に着いてから、昨日の店の名前も場所も思い出せないことに気がついた。

 階段の近くにあるフロアマップにも、それらしい名前はない。まあ、昨日来たとおりに、古本屋さん跡の前からスタートして、同じように歩けば何とかなるだろう。

 昨日歩いたコースを、記憶で辿る。古本屋の前から左を向いて。真っ直ぐ行くと、昨日見かけたコスプレ屋さんの前に出る。

 確かこのあたりで一度左に折れた。それで、少し歩いたところにあのお店があったんだけど。

 そこにある玩具屋は、昨日の店とは全然違うものだった。表のショーケースに飾られているのは、昔のお菓子のおまけについてきたような怪獣達だし、店の前では小学生ぐらいの男の子達がヨーヨーで熱くなっている。

 もう少し奥だったのかな。

 少年達の邪魔をしないように通り抜けて、その先を目指すことにした。だけど、道は少し歩いたところで突き当たりになってしまった。左右に続く道のどちらにも、見覚えはなかった。

 まさか、ビルの中で道に迷うとは思わなかった。だが、考えてみれば建造物の中というのは、方向感覚が掴めない分、かえって迷いやすいのかもしれない。

 そういえば、乃梨子は滅多に道に迷ったことがない。よく分からないところに行くときは、ある程度事前に情報を得てからにしている。だから、完全に迷った状態には慣れていないわけで。

 ええっと、こういうときは確か。そう、左手か右手を壁につけて歩くんだ。昨日の記憶を辿ってみても、古本屋の前を出てから、右に曲がった覚えはないから……左手、かな。

 左に曲がってから、しばらく真っ直ぐ進む。最上階だと人が来づらいのか、奥に行くほどシャッターや倉庫の占める割合が多くなってくる。寂しい感じになったところで、道なりに左に折れる。階段の前を通り過ぎ、もう一度左へ九十度。

 見覚えのある景色が出てきたことを喜ぶべきか悲しむべきか。そこは、最初の古本屋さんのある道だった。

 どうやら一周してきてしまったらしい。よし、今度は右手だ。

 ヨーヨー少年達のところまで行って、今度はさっきの突き当たりを右に折れる。こちら側は、あまり寂れてはいない。その代わりに、なんだか個性の強いお店が多くなってくる。何十年やってるんだろう、みたいな喫茶店があるかと思えば、その隣には店の前になぜかチェス盤と双六を足して2で割ったようなボードゲームが置いてあったりもする。

 だけど、昨日のお店は一向に現れなかった。それに、こんなところを通った覚えはない。

 右に道が現れたので、そちらに折れて。すぐに突き当たってまた右に折れ。最初にいた古本屋さんの通りに戻ってきてしまった。

(私、なんか見落としたのかなあ)

 また最初の玩具屋の前を通る。そろそろ男の子達に怪しまれるかもしれないけれど、そんなことは今はどうでも良かった。

 今度は、もう一度左手で行ってみよう。何か見落としていたのかもしれない。

 だが、左右に現れる景色の中に昨日の店はなくって。

 ひょっとしてあれは幻だったのかな、なんて妙なことまで考え始めた矢先のことだった。

 階段の脇にある地図が目に留まって、ようやく、乃梨子は自分のミスに気がついた。

 この階の道は、漢字の「目」の形になっていたのだ。そして、古本屋は左の縦画の一番上あたりにある。だから、さっきの玩具屋は、上から二本目の横画部分ということになる。

 ……従って。そこから左手でも右手でも壁につけている限り、一番下の横画には辿り着けないのだ。

 ちなみに、左手・右手を壁につけているべきなのは、壁にスタートとゴールがあるタイプの迷路である。

 種が分かってしまえば、あとは簡単だ。

 古本屋の前からずっと直進して、突き当たりを道通りに左に曲がれば。

 昨日のお店は、ちゃんとそこに存在していた。

「いらっしゃいませ……あら」

 挨拶をしてきたのは、昨日と同じ店員さんだ。

「こんなに早く来てくれるとは思わなかったわ」

 昨日の乃梨子は、もう来ることなんかないと思っていたけれど、あっさりとその予想は覆されたのだった。

 笑顔で出迎えてもらえると、嬉しいは嬉しいんだけども、なぜだか少しだけ後ろめたい気分になる。必ずしも、何かを買いに来たわけではないからだろうか。

「何だか、気になってしまって」

「あ、あの白い子ね?」

 友達のことを話すみたいな口振りで、彼女は喋り始めた。

「可愛かったでしょう?」

「ええ……それは、まあ」

 可愛いから、というだけではないんだけど。自分でも上手く説明できないのでやめた。

「もう、他のお客様が買って行かれたんですよね……」

「え……」

 予想していなかった。人形を前にしてどうするか考えてはいなかったけれど、人形自体ともう会えなくなっているというのは、そもそも想像力の範囲外だった。

 だけど、売り物なんだから……当たり前といえば当たり前だ。

「ごめんなさいね」

「いえ、大丈夫です」

「そう……何か、ショックを受けているみたいだったから」

 ただの客にすぎない乃梨子を、ここまで心配してくれる。そんな彼女を見ていると、なんだか、つい他人であることを忘れてしまって。

「あの人形を見ていると……なぜだか、私のお姉さまを思い出すんですよね」

「……雰囲気で分かるのかしら?」

「は?」

 聞き返したのは、乃梨子の方だった。

「私もリリアンの卒業生なのよ」

「えっ……奇遇ですね」

 そりゃあ、地域的には近いからいることに不思議はないけれど。

「ふふ、じゃあ無意識に使っていたのね」

「ええっと、何を仰られているのかよく分からないのですが」

「さっき、私のお姉さま、って言っていたでしょう?普通、外部の人に使う言葉ではあまりないと思うわ」

 言われてみて初めて気づいた。いつの間にか、乃梨子もそれだけリリアンに馴染んでいたということだろうか。

「確かに……慣れ、ってすごいですね」

「さてはリリアン歴、長いでしょう?」

「いえ、高等部からなんです」

「じゃあ、そのお姉さまのことが大好きなのね?」

「な……そうです、けど」

 的確に言い当てられて、頬が熱くなってくる。

 確かに、志摩子さんがいなければ、おそらく私は入学当初のまま、この学校に溶け込むこともなかっただろう。

「ふふ、照れちゃってるわね。悪いこと言ったかな?」

「本当のことですから」

 それだけは、断言できた。

「なるほど、そのお姉さまは……あんな風に可愛いの?」

「姿かたちが似ているっていうことじゃないんです……かといって佇まいが似ている、というのとも少し違って、ああもちろんお姉さまが可愛くないって意味じゃなくて、なんていうか……ただ、思い出すんですよね」

「よく分からないけれど……きっと、何かの巡り合わせよ」

「……巡り合わせ、ですか」

「そう。ただの偶然で片付けちゃいけない何かが、あなたのお姉さまとそのお人形の間に、きっとあるんじゃないかしら」

「そんなことって……あるんですかね?」

 なんていうか、言いたいことは分かるけれどどうにも非科学的だ。

「あるわよ。その証拠に、私と貴方が今ここでお話しているでしょう?」

「それも、巡り合わせなんですか?」

「そう。だから、貴方のお姉さまにこのことを話してあげなさい。そうすれば、巡り合わせの輪はきっと広がるから」

「分かりました」

 正直、彼女の言っていることに必ずしも納得できたかといえば答えは「ノー」だ。だけど、志摩子さんに話してみないことには、気持ちのもやが晴れなそうだというのは間違いなかった。

「あ、そういえば」

 これが乃梨子と店員さんの巡り合わせだというなら、もうひとつそこには巡り合わせがあるはずで。

「あの人形なら、お爺さんと小さい女の子が買っていったわよ」

「私、ひょっとして考えてること顔に出る方なんですか?」

 まさか、自覚がないうちに祐巳さまが移った?

「そうでもないと思うけれど……きっと、私たち考え方が似ているんじゃないかしら?」

 そういう店員さんは、なんだか少しだけ超然として見えた。乃梨子の気持ちを読むスキルといい……。

「いいえ……むしろ、私のお姉さまに似てます」

「ふふ、ありがとう。ほめ言葉よね?」

「もちろんです」

 

                    *

 

 明けて火曜日。

今日は、なんだかすっきりと朝を迎えることができた。寒いんだけど、かえって背筋がピンと張るような気持ちになる。

普段より心持ち速く、姿勢を正して。なんだか、お嬢様というより軍人さんみたいになっている気がするけれど、気分が良いのでそのままで。

たまには、良いことは重なるもので。M駅のバス乗り場で、駅の方から見慣れた姿がやってきた。

嬉しさのあまり、大きな声が出てしまう。

「おはようございます、お姉さま」

「ごきげんよう、今日は元気ね」

「ごめんなさい、嬉しかったのでつい」

「ふふ、良いのよ。何か良いことでもあって?」

「ええっと……良いこと、なのかは分からないんですけど、昨日お話した人形が気になって、あの後見に行ったんです。そうしたら、もう売れてしまっていて……志摩子さん!?」

 珍しいこともあるもので。志摩子さんは、目を真ん丸くして驚いていた。乃梨子もつられて驚いて、「お姉さま」だってことまで忘れてしまう。

「乃梨子、私もその話をしようと思っていたのよ」

「あ、じゃあ悪いことしましたか?」

「とんでもないわ……そう、売れたのね」

 目を閉じて、感慨深そうに頷いている。

「ああ、でも違うかもしれないわ。ちょっと待っていてね」

 志摩子さんが、鞄の中をゆっくりと探る。そして、一枚のファイルを取り出す。

「乃梨子の言っていたお人形って、これではないかしら?」

「わぁ……ほんとだ!これですこれ!これが昨日見た子です!」

 ファイルに挟まったモノクロの写真の中では、確かに幼い頃の志摩子さんが昨日の人形を抱いて写っていた。思わず、恥も外聞もなくはしゃいでしまう。

「ふふ、泣きぼくろがあったでしょう?」

「間違いありません。ということは……お姉さまが、泣きぼくろを書いたんですか?」

 人形にペンでほくろを書く幼き日の志摩子さん。なんだか、今の彼女からは想像もできない姿だけど。

「ああ、その写真に写っているのは、私じゃなくて私の母よ」

「そうだったんですかっ!?」

 さっきから驚きの連続で、だんだん一回の驚きのエネルギーが落ちてきている。

「ふふ、私は白黒写真の時代には生まれていないわ」

「そう言われてみれば……」

 だけど、そう考えてみると。

「よく何十年も落書きが残りましたね」

「母は書道をやっていた、という話を聞いたことがあるから。墨で描いたんじゃないかしら」

「なるほど、道理で」

「それにしても、面白いわね。四十年も巡りめぐって、乃梨子のところに現れたんでしょう?」

「買えなかったのが、残念でなりません」

 せっかく四十年の時を越えて現れた、っていうのに。

「ふふ、乃梨子ったら。買っても仕方ないでしょう?」

「え……?」

「だって、思い出はちゃんと残っているのよ?それ以上に望むことなんかないわ。それよりも、その人形を本当に必要としている人が持っていたほうが良いでしょう?」

「お姉さま……言われてみれば、その通りですね」

 それに、私達が持っていても、新しい巡り合いは産まれてはこないから。これで、良かったんだと思う。

 

 マリア像の前。

 乃梨子は一足先にお祈りを終えて、志摩子さんを横目に見る。昨日と同じようにお祈りをする志摩子さんは、昨日よりさらに輝いて見えた。だけど、絵の中に閉じ込めておくんじゃあまりにもったいない。

 五本の指を祈りを終えた志摩子さんの指に絡めて。指と指を繋いで、歩き出す。

「乃梨子、急にどうしたの?」

「いいえ、ちょっとこうしてみたくなったんです、お姉さま」

「確かに、たまにはこういうのも、悪くないわね」

 志摩子さんは、ときどき幻想的に美しく見えて。だけど、現実にそこにいる、って温もりがあって。それを改めて実感したかったから。

 現実と幻想が交わる場所で、志摩子さんを見てみたいと思った。

「お姉さま……試験が終わったら、スケートに行きませんか?」

「ふふ、いいわよ。とっても面白そうね」

 屈託なく笑う、志摩子さんの表情は。

 氷の上では、もっと綺麗に違いない――。



    終。  




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