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真夏の夜の……

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 山百合会の夏休みは短い。

 八月の中頃から自主登校が始まってしまうから、実質的には1ヶ月あるかないか、というぐらいの長さだ。だからこそ、その短い休みは頑張って楽しむ必要がある。

 今までの山百合会幹部たちもそうしてきたのだろう。

 というわけで。乃梨子と志摩子さんは、日帰りで仏像と教会を巡る小旅行に繰り出していた。

 冷房の効いた博物館を出ると、外は夕暮れ。西日が眩しいが、高原の小さな町だ。暑いというよりは、風情があるぐらいのものだ。

「ここまで来た甲斐があった、ってものですよ」

 館内であんまりはしゃぐわけにもいかないから、こういう話は建物を出てからすることになる。

「ええ。なんだか、優しそうな顔のものが多かったわね」

「景色も優しい感じだよね……」

 山並みに囲まれた里。小川の水面には、私たちの姿が映っている。電線と田んぼばかりで、忘れた頃に家がある。そんな風景が、山にぶつかるまで続く素敵な田舎町だ。小さな電車が、私たちを追い抜いていった。

「あ」

「どうしたの、乃梨子?」

「電車、行っちゃったよ……」

「あら、本当ね」

 志摩子さんはのんびり構えているが、たぶん次の電車は当分こないだろう。

「どこかで暇でも潰せそうな店が……あったらいいんですけどね」

 残念ながら見当たらない。駅は小さな町から外れたところだったから、そのあたりにも期待できない。

「とりあえず、歩いて行きましょう。戻っても仕方ないわ」

「はい……すみません、私のせいで」

「いいのよ。私だって気づかなかったのだから」

「でも、帰り遅くなっちゃうよ?」

 志摩子さんが夜道で襲われでもしたら、私はどうしたらいいんだろう。いっそついていくべきか。そうすると乃梨子は帰れなくなるが。

「あら、それは乃梨子もでしょう?」

「私はほら、自業自得みたいなものだから」

「もう。そんなこと言わないの」

 困ったような顔でたしなめられる。

「それに、帰りが遅くなったら、乃梨子と一緒にいられる時間が延びるじゃない」

 微笑むお姉さまを、夕日が優しく照らした。

「そう言われてみると、ちょっと楽しくなってきました」

 考えてみれば、旅に予定外のことはつきものだ。今日のコトは反省して次回に生かすとして、いつまでも引きずってるわけにもいかない。

「そう。マリア様のお導き……いいえ、この場合は仏様かしら?」

「それじゃ、両方ということでどうでしょう?」

「ふふっ、二人いればきっと大丈夫ね。危ないことなんて、何もないわ」

 二人いれば大丈夫。私たちも、そんな風でいたいな、って乃梨子は思った。

 

                    *

 

「……うわあ」

「乃梨子、帰れそう?」

 駅に備え付けの分厚い時刻表を繰る。暗号みたいな数字の群れは、乃梨子が千葉まで帰れないことを、ハッキリと教えてくれた。

「ええと……菫子さん家までなら、どうにか」

 あの人にあんまりお願いごとはしたくないんだけど、こうなっては仕方ない。仮に差し入れを買って行ったとしても、ホテル代よりは安いだろう。

「乃梨子、菫子さんの家に泊まる用意はあるの?」

 志摩子さんが、心配そうな顔をして聞いた。

「いえ。こんな形で寄ることになるとは、思ってなかったので」

「それなら……私の家に泊まるのは、どうかしら?」

 ためらいながら発した言葉は、乃梨子の頭の中を揺さぶった。泊まる。泊まるの? 志摩子さんの家に?

「えっと、良いの?」

「ええ。父に電話して確かめる必要があるけれど、たぶんOKしてくれると思うわ」

 意外な申し出だった。志摩子さんの家というのは一回行ったっきりだけど、なんていうか……二度と来ることはないかな、なんて漠然と思っていたから。

 志摩子さんの家に泊まるのか。なんだろう。そう考えたら、脈絡もなくドキドキしてきたl。

「その、迷惑じゃない?」

「いいえ。私は大丈夫だけど……その、乃梨子さえ良ければ」

「わ、私は全然良いよっ!?」

 ダメな筈があろうか。志摩子さんが、普段どんな過ごし方をしているのか。完全に知ることはできなくても、近づくことはできるはず。

 だけど、なんて言うか……そう、心の準備が!

「そう? それなら、私から電話しておくわね」

「お願いしますっ」

 建てられて以来、ほとんど使われていなそうな電話ボックスへと入って行く。

「ね、帰るのは何時頃になるんだったかしら?」

「ええっと……ちょ、ちょっと待っててくださいねっ」

 さっき調べたばっかりなのに、忘れてしまっていた。

 ページを繰りながら、考える。

(この電車が甲府に八時半だから……ええと、その先は)

 どうして志摩子さんの家に二度と来ないだろうと思ったんだっけか。もちろん、あの頃の志摩子さんは、お寺の子だ、ってことを隠そうとしていたわけだし、それ以上に私たちが姉妹になるなんて考えてなかった、ってことはあるけれど。

(だから、甲府に八時半について……)

 おそらく、志摩子さんはあんまり家の話には触れて欲しくないんじゃないか。だとすると、泊まるにしてもあんまり深く詮索しない方が……って、それはもともと当たり前なのか。

(ええっと、甲府から先の電車は……)

 そう。乃梨子はあくまで泊まりにいくのであって、志摩子さんの普段の姿を知る、というのはあくまでおまけにすぎない。という事実を再認識しておくべきだろう。

 泊まれるだけだって、十分素敵なことなんだから。

「乃梨子、大丈夫?」

「あ、すみません。ちょっと考え事を」

 思考が甲府で立ち往生していた。

「十一時ぐらいですね。H駅に着くのが」

「あら、結構かかるのね」

「すみません」

「それも楽しめば良いのよ。さあ、電話してくるわ」

 待つことわずか数十秒。戻ってきた志摩子さんは、晴れやかな表情をしていた。

「泊まっていって良いそうよ。H駅まで迎えに来てくれるから」

「良かった……でも、なんだか悪いな」

「歩いて帰るのは厳しい距離だから、構わないわ。父も、なんだか嬉しそうだったし」

 お父さん、か。あの時の住職の人だろうな。

「そっか。それなら、遠慮なく。私も、家に電話してくるね」

 

                    *

 

「大丈夫そうだよ」

 電話に出た妹は、特に驚いた様子もなかった。乃梨子が遠出しすぎて戻って来れなくなる、ってのは初めてではないから。受験の時に比べたら、何らたいしたことではない。

「そう?

 良かったわ、了承が得られて」

 待合室も兼ねた小さな駅舎には、誰の気配もない。コの字型に設けられた椅子の上には、ちょっとくたびれた白い座布団がいくつか置いてあった。近所の人が持って来たんだろう。

 埃を手で払って、志摩子さんの隣に腰掛ける。

 窓口のカーテンには、色あせて埃が積もっている。その隣には整理券か何かを出す機械があったが、文字はすっかり色あせて読めなくなっていた。

 時間を封じ込めてしまったような空間。

 前にも、どこかで――。

「そういえば、前にも一度家に来たことがあったわね」

「ああ、その時に似てるんだ」

 そう。ここほど田舎ではないけれど、時代が進むのを忘れたような感じは、すごく近い。

「あの時は、怖かったわ……乃梨子のこと、今みたいに信用できていなかったもの」

「私だって、どうして良いか分からなかったし……ずいぶん、前のことみたいだけど」

 でも、それが春で今は夏。

「あら、本当ね。たったの三ヶ月だ、っていうのに」

 百回も陽は昇っていない。それだけの時間で、私たちはこんな所まで来たんだ。

「時間が、すごく速く進んでるみたい」

 この場所は、いつまでも変わらないだろうけど。

 二人の関係は、止まることなく進んでいく。どこへ?

「ねえ。志摩子さん」

「なに?」

「あと三ヶ月したら……ううん」

 今の二倍、仲良くなるのかな、なんてのは聞くことじゃなくて。これから私たちが決めることだ。

「そうね」

 志摩子さんは、最後まで言わなかった私の言葉に頷いてから。

 ふわっ、と乃梨子に寄りかかる。

「ね」

 言葉は、なくて良かった。

 志摩子さんの重さを受け止めて。

 乃梨子は志摩子さんの手に指を絡ませる。

 ここにいるよ、って。それだけで私は幸せだよ、って伝えるために。

 夕日が山並みに沈んで見えなくなるまで、二人はずっとそうしていた。



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