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「あ、洋海ちゃんだ。食堂行く?」
それは、夏が何の気無しに発した一言から始まった。
「うん!」
昼休みのはじまり。すっかり親しくなっていた夏と黄菜ちゃん、それに洋海ちゃんの三人は仲良く並んで歩き出した、
「洋海ちゃん、なんか良いことあったのー?」
黄菜ちゃんが何の気なしに聞いた。
「え、そんな風に見える?」
「うん。なんかこう、爽やかさがアップしてる。従姉さんと仲直りでもしたの?」
「ううん、そうじゃないけど。一応吹っ切れたから」
黄菜ちゃんは相変わらず遠慮がないな、なんて思いながらも。はにかむ洋海ちゃんの横顔を見て、夏は安心した。
今は五月の終わり。空が暗くなった時に気分が暗かったら、より悲しくなるだけだ。
「五月のうちに五月病から脱出。うん、正しいタイミングだね」
黄菜ちゃんがうんうんと頷く。
「それ、五月病と違うでしょ」
「あ、そっか。じゃあ夏ちゃんが夜な夜な叫ぶのが五月病、ってことで」
「え、叫ぶの? 夏ちゃんが?」
「待って。何で黄菜ちゃんが知ってるの?」
夜な夜なったって一回だけだし、寄宿舎でのことなんだけど。
「毬絵から聞いたの。喜んで教えてくれたよ」
……ああ。図が目に浮かぶようだ。
「仕方ないじゃん。夜中に本を読んでたら、誰もいないはずなのに後ろから手が出てきて、振り返ったら誰もいなかったら……叫ぶでしょ?」
「え、そんなことがあったの?」
洋海ちゃんがちょっとだけ驚いている。
「うん。結局、何だったのかはよく分からないんだけど」
「へえ。祥華って、そういう話いっぱいあるよね」
「奇談倶楽部なんてあるぐらいだもん。あれって、きっと全部本当にある話なんだよ。ああ、私も『お茶会』に出てみたいわーっ」
黄菜ちゃんが、ちょっとうっとりして言う。
「そうそう。でも『お茶会』は実際出会うと驚くよ?」
「それって……どういう感じ?」
洋海ちゃんが興味津々、という様子で聞く。
「どう、って聞かれると困るんだけどね。寄宿舎の私の部屋のドアを開けたら、間取りが全然違ってて、知らない子達がお茶会してたんだ」
「それで、夏ちゃんはどうしたの?」
「しばらくその子達とお茶会して出て来た。その後部屋に入ったら、普通に私の部屋に戻ってたよ」
「夏ちゃん、このまま行ったら十三怪談制覇できちゃうんじゃない?」
洋海ちゃんが笑顔で言った。ここまで皆に歓迎されていると、もはや怪談でも何でもない気がする。
「良いなー、私も何か出会えないかなー……。祥華に来たはいいけれど、このまま怪談体験できずに終わっちゃったら寂しいじゃない?」
黄菜ちゃんにしちゃあ珍しく、物憂げにため息をついた。
「その感情がまさに五月病だよ、黄菜ちゃん!」
「あ、そっか」
*
女三人よればかしましいと言うが、何百人も寄ったらそれはもはや一つの災害と言えよう。いつものように、食堂は喧噪で満ち満ちていた。
「こんにちは」
ご飯を受け取る列に並んでいるとき、洋海ちゃんが後ろで誰かに挨拶した。
夏たちが振り返ると、上級生っぽい人が笑みを浮かべながら、ひらひらと手を振っていた。高い身長に伸びる艶のある黒髪、つり目がちな大きな瞳。
(美人さんだぁ)
洋海ちゃんが気づいたのを確かめて満足した彼女は、人ごみに向かって、指でくいくい、っと招き寄せるような仕草をする。そのメッセージはすぐに伝わったらしく、人並みを奇跡的な早さでかき分けて、彼女の隣に見覚えのある人が来た。
確かあの子は平松さんと言ったっけ。奇談倶楽部の部長してる。指先一つであの子を使っているってのは、上級生だとしてもちょっと凄いかも。
『うむ』
その美人さんは、そういう声が聞こえそうなぐらいに、満足げに頷いていた。
なんなんだろ、いったい?
「二人とも。前進んでるよー?」
洋海ちゃんは苦笑気味。特に後ろを気にとめてもいない。
「わ、ほんとだ」
夏の前が数人分すっからかん。冷たい視線を感じながら、小走りで隙間を詰めた。
「カッコいい……」
隣の黄菜ちゃんが、明後日の方向を見ながら呟いていた。
*
一足先に食事を受け取った夏が、三人分の椅子を確保して座る。少し遅れて黄菜ちゃんが来る。
「ねえ、さっきの黒髪のカッコいい人って誰かなあ?」
「知らない。一緒にいたのは、奇談倶楽部の部長さんだよね」
「そっちは知ってるんだけどな……うーん」
「って、洋海ちゃんの知り合いなんじゃないの?」
「あ、そっか」
二人とも、最初のことが頭からすっかり抜け落ちていたのだった。
「おまたせー」
最後に現れた洋海ちゃんの手には。
「洋海ちゃん、どしたの? 朝ご飯食べ損ねたとか?」
女子校の食堂とは思えないほどおの、特盛りのご飯が乗っかっていました。
「ううん。私これぐらい食べるんだよ、もともと」
「ほぉ。それ、太っちゃわないの?」
黄菜ちゃんが聞くが、今目の前にいる洋海ちゃんは、夏たちとおんなじぐらいだ。
「うん」
「良いなぁ、それ」
夏が羨んでいる間にも、洋海ちゃんは幸せそうにお米をほおばっていた。
「ねえ、さっきの髪きれーな方って何者なの?」
黄菜ちゃんはよっぽど気になるらしい。夏自身とて、気にならないといえば大嘘だけど。
「えと、烏丸さんのこと?」
「名前からして仰々しいね」
ひょっとしたら、由緒ある家柄とかなのかな?
「私の同室だよ。二人部屋で」
「洋海ちゃん、毎日あの人と一緒に生活してるの?」
「そうだよ」
「いいなあ、いいなあっ!」
黄菜ちゃんの目は爛々と輝いている。五月病など、スイッチの入った黄菜ちゃんの前には、何の効力も及ぼさないらしい。
「そうかなあ? 最初、かなり怖かったよ?」
「でも今は優しいんでしょ?」
「ん、それは……そうだけど」
「ミステリアスな上級生と送る心躍る寄宿舎生活。ロマンよねー」
黄菜ちゃんが、完全に向こう側に行っている。
「ミステリアスと言えば、あの人霊感あるみたいだよ」
「ますますもって素敵っ! 夜な夜なお化け退治とかしてるんじゃないの?」
「黄菜ちゃん、そこまで行くとあぶないひとだよ」
むしろ、黄菜ちゃんが危ない人かも。
「確かに……危ない人で思い出したけど、じゃあ平松さんはその霊感がらみで一緒にいるの?」
「うん。前にね、平松さんが烏丸さんの髪の毛を欲しがってたんだ」
米の山を悠々と崩して食べながら、洋海ちゃんが言った。
「え? 髪の毛なんて何に使うの? そりゃ、綺麗だけど」
「うーん……観賞用とか?」
「黄菜ちゃん、髪の毛眺めてどーするのよ」
「例えば恋いこがれるとか……違う?」
黄菜ちゃんが笑顔で、若干変なことを言っている。
「烏丸さんの髪の毛には霊力があるから、それを使って怪奇を探したかったらしいんだ。こう、ダウジングみたいに」
「そんなことできるの?」
普通ならあり得ないけど、あの先輩とこの場所が合わさればできそうな気もする。夏は、そんな期待をしつつ聞いた。
「わかんない。結局、髪の毛を手に入れる前にバレて半殺し……じゃなくて、生殺しの目に遭って、それでしもべみたいになった、って言ってた」
洋海ちゃんの口から、不思議な単語の羅列が出てきた。
ええっと。バレて下僕になった。それは良いとして。
「なんなの、生殺しって?」
「私も知らないけど、そんとき泣きながら出て来たから、わりと酷い目にあったんじゃないかな?」
うわあ。自業自得だけどちょっと可哀想。
「わぁ……凄い関係だね。生殺しの主従関係かぁ」
「黄菜ちゃん、何を想像してるのでしょーか」
「ええっと、烏丸さんの使い魔と化して、夜な夜な主を守る平松さん?」
「面白いこと考えるなあ、黄菜ちゃんも」
彼女の空想癖を眺めながら、洋海ちゃんは苦笑い。
「実際、平松さん自身が最近なんかやたら生き生きしてるから、ほんとにそうだったりするかも」
先輩に振り回されてるのが楽しいだけ……とも限らない。なにせここは優しい怪奇に満ちた祥華だ。霊感のある人なら、幽霊ツアーぐらいできるかもしれない。
「あの人の従者かー……」
黄菜ちゃんがうっとりと呟いた。小説の中と完全にイメージが混ざってるけど、あんな格好良さだ。無理もない。
「確かに、従者っていうよりは主だよね、オーラが」
「頼めば代わりにしてくれるかもよ。やってみる?」
「いえ結構です。大変そうだから」
黄菜ちゃんが即座に首を振る。夢見がちモードがはじけたらしい。
「夏ちゃんは?」
「やらないよお」
「ふふっ、やっぱり」
ご飯を平らげた洋海ちゃんが、優しい目をして笑っている。
「だよねえ。そもそも、夏ちゃんを下僕にできる人は、あんまりいなさそうだし」
黄菜ちゃんがよく分からないことを言い出した。
「なにそれー?」
「猫っぽいもん」
「あ、それ分かるかも」
「ううむ……黄菜ちゃんに言われても。黄菜ちゃんも十分我が道をゆくタイプじゃない?」
「確かに、黄菜ちゃんもそういう感じする」
洋海ちゃんが激しく頷いている。
「……要するに、私ら似た者同士ってコトかなあ?」
照れたみたいに笑いながら、小さな声で黄菜ちゃんが言った。
「あ。そうなるねえ」
夏も素直に頷く。似てない部分も多いけど、似てる部分だって多い。
「じゃあ、一人だけ抜けようったってそうはいかないわ。洋海ちゃん、お前も猫だー」
黄菜ちゃんったら、何言ってるんだか。
「え、えと……にゃ、にゃー」
洋海ちゃんが招き猫の手のポーズで、躊躇いがちにネコになった。
「……ネコだ」
「ネコだね」
一瞬の静寂の後。
誰からともなく笑いが零れ出して、三人みんなで息が苦しくなるまで笑ったのだった。