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カラスのハート

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 どんより曇った空の下でも、女の子たちは元気である。

 食堂にゆく渡り廊下には、お喋りの花が咲き乱れていた。

「あ、DD」

 喧噪という花畑の中から、洋海を呼び止める声が一つ。

「烏丸さん?」

 洋海が振り返ると、いきなり手を掴まれた。彼女は洋海を通路から脇へと引っ張り出し、両肩をがっしりホールドする。

「あの……なんですか?」

 至近距離で、特徴的な大きい目がじーっと睨みつけてくる。

 悪いことなんかしてないはずなのに、いつもの数倍怖い。取り殺されそう。

 掴まれてるから逃げるに逃げられない。蛇に睨まれたカエル。前門に虎で後門がない。

 普段の彼女の怖さと美しさの比率は四対六ぐらいだが、今日に限って言うならば八対三ぐらいだ。一増えたのは負のオーラが出ているせいだ。

「あー……悪い、お金貸して。寮に財布忘れてきた」

 低い声は、何だか凄く憂鬱そう。目の下にうっすらクマができている。

 だが、喋ってくれたおかげでだいぶ怖くはなくなった。

「えと、これで足りますか」

「恩に着るわ」

 彼女は五百円玉を受け取ってから、ふらふらー、っと人ごみの中へ紛れていった。

(……なんだろ?)

 寝不足かなあ?

 消灯時間にはちゃんと寝てるはずだけど、ひょっとしたら、ベッドに入ってるだけで寝付けてないとか?

 いや、それにしては機嫌も悪そうだったな。

 ……生理中?

「洋海ちゃん、どしたの?」

 そういえば、食堂に行く途中だった。

「あ、夏ちゃん。ちょっとボーっとしてた」

 夏ちゃんが、心配そうな目で見ていた。

「ボーっとするには不向きだよ、ここ。行こ?」

 夏ちゃんの隣にはいつものように黄菜ちゃんがいた。確かに、客観的にみてみると、渡り廊下の脇で立ち尽くしているのは変なひとっぽい。

「ん、確かに」

「それで、どしたの洋海ちゃんは?」

 黄菜ちゃんが、可愛らしく首を傾げた。

「さっき烏丸さんがいたんだけど、なんか様子が変……ってほどでもないけど、ちょっと疲れてそうだったから」

「烏丸先輩か……詳しく聞かせてっ」

 隠そうとしてはいるのかもしれないけど、黄菜ちゃんの目が輝いている。尻尾があったら、限界まで速くしたメトロノームみたいに揺れてるだろう。

「わかんない。目の下にクマができてたから、たぶん寝不足なんだと思うけど」

「うーん、消灯時間後にこっそり何かしてる?」

 夏ちゃんが、答えでもあるように斜め上を見ながら言った。

「わたしの見てる限りでは、そんな様子はないなあ」

「そっか。でも、同室の目を欺くぐらい造作もないかも」

 黄菜ちゃんの中の烏丸さん像は、どんな事態になってるんだろ。

「仮にそこまで気が回っていたなら、眠くて財布を寮に忘れてきたりはしないと思うよ」

「あ、そんなことになってたの?」

「うん、さっきそこで会った時に」

 二台ある食券の販売機の前には、それぞれ十人ばかり行列ができていて、三人で同じ側に並んだ。前の方では烏丸さんが、すでに券売機のボタンを押していた。

「結構長いことぼーっとしてたんだなぁ……わたし」

「んー、季節の変わり目は眠くなるからねえ」

 大きく伸びをしてから、夏ちゃんが聞き慣れないことを言う。

「あれ、普通は風邪をひくんじゃなかったっけ?」

「うん。私も黄菜ちゃんのそれしか知らない」

「ええっと……調子出ないと寝たくなるからかなあ? ともかく、私は眠くなるよー」

 夏ちゃんはそう言うけれど、調子が出ない、なんて風には見えない。

「えっと、今眠いだけじゃないの?」

 洋海が疑問を口にして。

「違うよ。いっつも眠いもん」

 夏ちゃんがすっとぼけた返事をし。

「それ、たぶん季節関係ないよねー」

 黄菜ちゃんが、春の日射しの似合う笑顔で突っ込んだ。

「ねえねえ、そちらのお三方」

「ん?」

 振り向くと平松さんがいた。私は入口の方を見ていたから、他のとこから現れたことになる。奇談倶楽部会長にふさわしく、神出鬼没である。

「お嬢さま、じゃないじゃないじゃないっ! 烏丸先輩見なかった!?」

 口が滑って出た言葉を、顔を真っ赤にして手を激しく振って否定しようとしているが、かえって強調されてしまっている。普段は冷静な平松さんが激しく焦っている様子は、なんだか可愛かった。

「ちょっと前に食券買ってたよ。もう食べてると思う」

「分かった。ありがとねっ!」

 ぱたぱたと賑やかに走り去る。肩がぶつかった人に睨まれても気にしない。たぶん烏丸さんの方が怖いんだろう。

「大変そーだよね」

「お嬢さまとしもべかあ」

「ご飯どうすんだろ……」

 それを見た洋海たちは、てんでバラバラな感想を抱いていたのだった。

「ふふっ、洋海ちゃんもー、食い意地張ってるったら」

 夏ちゃんが笑い転げるのをどうにか我慢しながら言った。

「だってさ、今まさに食券買うとこだよ? お腹も空くでしょ?」

 私は大食いキャラになりつつあるのかなあ、と洋海は思った。女の子にしちゃよく食べる方な自覚はあるけれど。

「一理あるけどね。何にするの?」

「祥華特別、大盛りで」

 お金を入れながら答える。日替わり定食の祥華ランチが質・量ともに若干パワーアップするのが祥華特別。競馬みたいな名前だが、それを大盛りにするとなお幸せになれる。

「どーして太らないのー!? ねえなんでっ!?」

 洋海の肩を揺さぶりながら、嘆きの声を上げる夏ちゃん。だだっ子みたいでちょっと微笑ましい。

「ほんっとにねー」

 黄菜ちゃんは黄菜ちゃんで、洋海の頬を人差し指で突っつきながら笑う。

「えと、なんかごめん」

「謝らないで。もっとかなしくなるからー」

 よよよ、と崩れ落ちそうな夏ちゃんは、表情筋フル活動状態の傍らで、しっかり食券を買っていた。

 食事の出てくる列の方に並んだところで、黄菜ちゃんが話を変えた。

「そういえば、なんで洋海ちゃんにお金借りたのかが謎だよね」

「どういうこと?」

「しもべであるところの平松さんに借りた方が、手っ取り早くて良いんじゃないの? 呼べばすぐ来るだろうしお金も貸してくれるでしょう?」

「確かに」

 夏ちゃんは頷いているけど、ちょっと待った。

「平松さんは、さっきまだ烏丸さんのこと探してたよね?」

「あー、そっか。なら何だろうなあ……洋海ちゃんが会ったとき、烏丸先輩どんな感じだった?」

「どんな感じって?」

「待ち伏せしてたとか、誰か探してたとか」

「手前の渡り廊下でいきなり横から捕まえられたから、どっちかっていうと待ち伏せかなあ?」

「平松さんがまだ着いてないと思ってて、それで通りかかるのを待ってたとか?」

 夏ちゃんの推理は自然と言えば自然だけど、二人とも平松さんにこだわりすぎではなかろうか。

「夏ちゃん待って。今回はたまたま洋海ちゃんが通りかかったから良かったようなものの、入って探した方が誰か見つかる確率は高いよね?」

 黄菜ちゃんはすっかり物語の探偵みたいになって、すっごく楽しそうに話している。

「ああ、確かにあんな場所で見てるよりは、入っちゃった方が早そうだけど……じゃ、どうしてあそこで待ってたの?」

 夏ちゃんも洋海も、黄菜ちゃんの推理の続きを聞きたくなっていた。正しいか間違ってるかはともかく、面白そうだったから。

「確かに、人を探すなら、入った方が良かった……いや、逆かも……そう、逆よ!」

「逆、って?」

 洋海は思わず聞いていた。どこが逆になりうるというのか。

「烏丸先輩は、中に平松さんがいると知っていたから。彼女に見つかるのがイヤで、食堂に入りたがらなかったんだよ」

「どうして嫌がるの?」

 主従関係っぽい形を取りつつも、なかなか彼女らは仲良しなんじゃないかと思うんだけど。

「あ、あのしつこさが嫌いになったとか?」

 夏ちゃんが、微妙にひどいことを言っている。

「そうじゃない。烏丸先輩は、平松さんを下僕として深く愛しているわ。でなきゃ、お嬢さまなんて呼ばせないでしょう?」

 そういえば確かに、平松さんはお嬢さまと口走っていた。熱湯をかけられた時の悲鳴で出身がバレたスパイの話じゃないけど、とっさに出てくるのは普段使っている単語になってしまうわけで。

 にしても、なんでお嬢さまなんだろうか。今度聞いてみよう。

「だから、烏丸先輩がお金を忘れていたら、たぶん昼飯ぐらいおごらせることは可能よね」

 あの二人がどのような関係なのかよく分からなくなってきた洋海を置いて、推理は進んで行く。

「ううん……可能は可能だろうけど、なんていうか」

「でも、それはしたくない。なんせカツアゲみたいな形になるでしょう?」

「そうそれ! それが言いたかったの」

 夏ちゃんの頭の上に、電球が見えた。思い出せずに苦しんでいたのか。

「だから、烏丸先輩は主従関係の中でお金を借りるのも美しくないと考えた。そう、これは彼女なりの――美学の結実が生み出した謎だったのです」

「「……おおっ!」」

 今この瞬間、推理は想像へと飛躍した。

 色々と突っ込みたいところはあった。でも、黄菜ちゃんの勢いが全てを押し流した。

 私たちを力づくで納得させられるだけの、どこから来たのかも分からない、やたらめったらな情熱。それが確かに、彼女の語りの中には存在していた。

 洋海と夏ちゃんが呆然とし、黄菜ちゃんは『どうよ?』と言わんばかりの満足げな顔。そんな私たちを現実に引き戻す声。

「お三方、前、前」

「あ、平松さん。ありがとう」

 今の話を聞かれていた、なんてことは考えずに、洋海が反射的に返事をしていた。

「黄菜ちゃん、さすがに今のは聞いてるこっちが恥ずかしかった。面白かったから良いけど」

「う……ついノッてきちゃって」

 さっきまで目が輝いていた黄菜ちゃんは、みるみるうちにしぼんで、バツが悪そうに肩を落とす。

「ふふっ、そりゃ見てれば分かるよ」

「あ」「烏丸さんっ!?」「せ、先輩っ!?」

 烏丸さんはどこに隠れていたのか、昼ご飯の乗ったトレイを持って現れた。

「それぐらい突き抜けてくれると、逆に応援したくなってくるわ。頑張れよ、黄菜ちゃん」

「は、はいっ! 努力しますぅっ!」

 背筋を伸ばした黄菜ちゃん。声が裏返っていた。

「さ、行きな。立ち止まる場所じゃないから、ココは」

 烏丸先輩がお盆を片手持ちにして、開いた方の手で、黄菜ちゃんを軽く押し出した。

 とてとてとその勢いで歩き、呆れ笑いを浮かべたおばちゃんに食券をさし出す。

「うわぁ……カッコよかったよお」

 黄菜ちゃんが恍惚としている。無理もないか。

「ねえ、どうして烏丸さんは黄菜ちゃんの名前知ってたんだろ?」

「……エスパー?」

 夏ちゃんの疑問に、また妙なことを言い出す黄菜ちゃん。一種の才能だろう。

 私が黄菜ちゃんについて話したからだ――とは言わないでおくことにした。



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