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怪盗セイント・シュガー

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 夕方、授業を終えて昨日と同じぐらいの時間に駅前に向かう。空は雲で蓋をされていて、梅雨に戻ったみたいな蒸し暑さ。行き交う人の足も、何だか活気がないように見えてくる。

 栞は、ただそこに立っていた。私が歩いてくるのに気づいて、やっと表情が戻ってきたように笑顔になる。

「おはよ、聖」

「お待たせ。お店は?」

「今日は早じまい」

 言われてみれば、看板の影には何もなくなっていた。代わりに、栞の足元に黒いスーツケースが鎮座している。さっきまで占いをやっていたとすると、道具が中に入ってることになる。あのセットってそんなに圧縮できるのか。台座とかは折り畳むとして、あの水晶だか硝子玉だか割れたりしないのか。

「ちょっと待っててね」

 余計なことを考えている間に、栞がそのスーツケースを開けて、中身を探してくれる。白薔薇と衣装を持ってきたんだろう。

「はい」

 見るからに怪しげな、黒い紙袋が出てきてしまった。

「ありがとう」

「どう? 一日で揃えるの、大変だったのよ」

 中を見てみると、確かに約束通り、白薔薇と衣装があった。さて、その衣装はと言えば。一瞬スーツっぽく見えたが、白い蝶ネクタイがついているってことは。

「タキシード?」

「というか、燕尾服ね。男物の」

 うむ。ちょっと動きにくそうなのが欠点だが、見栄え自体はなかなか良さそうだ。まさしく怪盗という感じかもしれない。

「って、男物なの? なんでまた」

「……聖に、着てみて欲しかったから」

 罪を咎められた子供のように俯いて、少し頬を染めた栞が答えた。

「ふふっ、可愛いこと言うんだ」

 きゅうって抱きしめたくなったが、人目も多いので代わりに頭を撫でておくだけにした。サラサラの髪に私の手が触れ、栞は心地よさそうに首をすくめる。

「……もう。着てみて?」

「もちろん」

 

                    *

 

 駅ビルに入って、トイレで着替える。ちょっとみみっちい感じだが、栞が私の怪盗姿を見たがってるから仕方ない。

 紙袋の中身を見てみると、普通に燕尾服一式の他に、綺麗に折り畳まれた細長い布が入っていた。サラシか。……どう巻いたら良いんだろう、コレ?

 胸の上から巻いたり下から巻いたり、寄せて上げてみてそれでは意味がないと気づいたり、試行錯誤を繰り返し、さらには蝶ネクタイの結び方も何度か試してみて、ようやくある程度それらしい形になった。

 怪盗になるってこんな面倒なコトだったのか。普通はもっと別のトコで苦労するんだろうけど。

 洗面所の鏡で自分の姿を見てみると、特におかしい点もなく、案外様になっていた。

 だが、どこの時代錯誤だこの女は?

 まあ良い。怪盗という概念がそもそも時代錯誤なんだから。

「栞さん、どうよ?」

「わ……聖、凛々しくなっちゃった」

 栞の期待値を超えていたらしい。驚きと喜びと興味に満ちた目で、私を上から下まで見回している。そんなに嬉しいなら、もっと驚かせてあげようじゃないか。

「それじゃ、こんなのは?」

「え、ちょっと聖!?」

 無駄な怪力は、全く無駄じゃなかった。栞の体が、子猫みたいに楽に持ち上がる。ちょっと抵抗されても大丈夫。

「お姫様、ご命令を」

 栞がぷい、と顔を背けた。耳まで真っ赤に染めながら。

「……もう、驚いたじゃない」

「嫌なら下ろすよ?」

「このままで」

 伏し目がちで、小さな声だったけれど、それは確かに聞き取れた。

「かしこまりました」

 栞が、私の体に腕を絡める。互いの体温を感じていると、体は溶けていくようなのに、頭の中だけさえ渡る。

 そうだ、この後は折角だから、アリバイ工作と冗談を兼ねて……。

「聖、下ろして」

「急にどうしたの……あ」

 そうだ。忘れていたが、ここは駅ビルの階段。普通に通りがかった人が、怪訝な目で私達を見ていた。

「見せつけてやろうぜ、ってわけにはいかないかね」

「目立ってどうするのよ」

「確かに。マリア様相手ならともかくね」

 あの時のことだって、今となっては話の種にしかならない。

「懐かしいね。またする?」

「それこそ目立つっての。却下、却下」

「遺憾だわ」

「ふふっ……午後七時に、いつもの場所で」

 最後は耳打ちをして別れる。

「分かった。無事でね」

「もちろん」

 手袋をつけたら、そろそろ仕事に移ろうじゃないか。

 

                    *

 

 駅から表通りと並行に走る裏通りを突っ走って十分弱。途中で自転車を一五台ぐらい追い抜いた。

 表通りを今の格好で全力疾走するのは、あまりにも多くの人の目に留まりすぎるので、あえて裏側を突き進んだ。それでも目立つことは目立つんだけど、それぐらいなら良かろう。

 地図を思い出しながら、指定された住所にたどり着く。裏通りと表通りの間に、指示されたマンションが立っていた。白い壁は年月の洗礼を受けて、ところどころが灰色に薄汚れている。これなら、オートロックなんかなさそうだ。

「三〇三号室……どの窓かはわーらんな」

 素直に扉から入ることにしよう、と決めてから。

 そのままマンションの脇をスルーして、表通りに出た。突入する前に、一つだけやることがあるのだ。

 更に駅から離れる方向に数分歩けば、M市の最果てにある市役所に着く。なんでこんなトコに市役所を作っちゃったのかは知らないが、駅前とかより人通りが少ないのは好都合だからよしとしよう。

 市役所ではなく、その前にある公衆電話ボックスに入って、自宅の番号を押す。何コールか呼び出し音が流れてから。

「もしもしにゃー」

「……私じゃなかったらどうなるんだろ、コレ?」

 普通に電話をかけたら猫が出たら。

 普通は何かの間違いだと思う。その後どうするかは知らない。

「知らんがにゃ」

「じゃ、ちょっと作戦変更するから聞いてね」

「にゃにゃっ?」

「私が大変なことになってる風に演技するから、途中で受話器の向きを九〇度変えて、ゴロンタが話してちょうだい」

「……よーわからんにゃ」

「つまり、最初は打ち合わせ通り。その後しばらく、ゴロンタが向こうに話しかける。ただし、その間も携帯の方の音が出る部分は、子機の話すトコにあてといて」

「あー、にゃるほど。わーったにゃ」

「よろしく」

 本当に分かっているのか若干不安な返事だが、まあそこはさして重要ではないので流しておく。

「じゃ、電話するにゃ」

 その声を最後に、ゴロンタの声の代わりに呼び出し音が聞こえてきた。うむ、感度良好。

「はい、水野です」

 私の名前が着信欄に出ているだろーに、ちゃんと名字で返事をしてしまうあたり、実に蓉子は相変わらずだった。

「蓉子? ちょっと今良いかな?」

 わざと切羽詰まったような声を作って言う。

「聖、どうしたの」

「実は今、悪い魔法使いに追いかけられてて」

「は?」

「魔法使いよ魔法使い」

「まだ夕方だけど、酔ってるの?」

「違うわよ。で、それで今何とかまこうとしてる最中なんだけど、って、あぁっ! 見つかった!」

「ちょっ……電話してる場合じゃないんじゃないの?」

「ダメ、ダメだって! 蓉子、助けて、蓉子っ――!」

「聖! 聖っ!?」

 この先は、私の声は蓉子には聞こえないだろう。なぜなら。

「聖……どうなったの?」

「もしかして、猫になったの?」

 そう。今は、代わりにゴロンタが喋っているのだ。

 携帯と子機を逆さに向かい合わせにしたのが最初の状態で、九〇度回してL字にしたのが今の状態。

 だから、声はゴロンタ→蓉子→私、の順でしか伝わらないわけだ。まあ、私の声は一応ゴロンタには聞こえるだろうけど、たぶん携帯の送話部分には拾われないと思う。

「そんな……そんな、馬鹿なことがあるの?」

 蓉子の声が上擦っている。珍しいので、もうしばらく観察していよう。

「お願いよ、聖……返事してよ」

 声の合間に、すすり泣くような声が聞こえてくる。完全に信じてて、ちょっと申し訳なくなってくる。

 忘れかけてたけど、蓉子ってこういう子だったんだ。

「大丈夫……助けるから。今、どこにいるの?」

 憔悴しきっていることが電話越しでも分かる。明らかに平常心を失っている。

「ゴロンタ、代わってー」

「聖……?」

「もしもし、私ですが」

「猫じゃなかったのっ!?」

「大丈夫、人間よ」

「良かった……本当に怖かったんだから」

「まさか、猫にはならないでしょー」

「……騙したのね?」

「いや、ここまで反応良いとは思わなくてさ。驚いたでしょ?」

「もう一度聞くわ。騙したのね?」

 真冬の網走の如く冷たく怒っている、そんな蓉子の幻が見えた。

「う……ごめんなさい」

「全く。いつになっても変わらないわね。もうちょっとマシな労力の使い方をしたら?」

「仰るとおりで。んじゃ、忙しいから切るねー」

「忙しいのなら尚更――」

 その先を聞くことなく、受話器を置いた。

 そろそろ突撃しよう。

 

                    *

 

 マンションの表から堂々と入り込み、回りに人がいなことぐらいは確認してから、三〇二号室のインターホンを押す。

「すみません、東京ガスの者ですが」

 ガス屋のふりをすれば、宅配便より開けてもらえる可能性は高いだろう。ドアの覗き穴から体をずらして、扉が開くのを待つ。

「はい」

 三十代行くか行かないかの、目つきの悪い男が不機嫌そうに現れた。男が私の姿がおかしいことに気づくよりも早く、彼の鳩尾を手加減なしで殴りつけていた。

「ぅぐ」

 男が呆然とした顔のまま、小さなうめき声を上げながら、マンションの廊下に倒れ込む。死んじゃいないと思うが、結構痛そうな音がした。

 そういえば、口座を管理してるリーダーとやらは気絶させるべきじゃないのか。今のヤツじゃないといいけど。

「失礼します。臨時の検査に参りました」

 背後の扉を閉める。これで近所に音は……多少は聞こえにくくなるだろう。

 廊下の右手には二つの扉、左側はシステムキッチン。奥に部屋が見えることからして、右の扉は浴室とトイレだろう。

「あれ、そんなん知らないっすよ」

「俺も知らねえが……誰だ?」

 奥の部屋に出ると、二人の男と目が合った。

 茶髪にタレ目の女受けの良さそうな男は、たぶん私より五つ年上ぐらい。

 誰だと聞いたのが、泥棒髭を生やした眼鏡の男。年齢不詳だが、とりあえず茶髪よりは年上だろう。話しぶりからしても、こっちの方が偉そうだ。

「怪盗セイントシュガーという者ですが、金品を頂きに参りました」

「は」

 二人とも言葉の意味を理解できないでいる。当たり前だ。その一瞬の隙をついて、部屋の右手にいた茶髪の方を殴りつける。

「うぐ」

 さっきと同様に一発で落っこちてくれた。荒事には慣れていないらしい。良かった、私もだよ。

 次に、部屋の反対側の髭の男を睨み付ける。

「……まるで強盗だな」

 髭の男が、冷静に文句を言う。余裕が感じられるが、どうなることやら。

「手段は問わないからね」

「……ちっ」

 男が逃げだそうと、扉に向かって駆け出す。逃げ切れるはずもないのに。彼の三歩目に、私の腕が後ろから追いついた。逃げる男の腹に、後ろから腕を引っかけて引き寄せる。

「うぐぇっ」

 腹を圧迫された髭男が、ロードローラーの前にいたヒキガエルのような声を出す。なんか潰れたりしてないよな?

「……預金通帳を出したら、あんまり痛くしないけど。どうする?」

 男が大儀そうに首を横に振った。

「そうなの?」

 すぐさま相手の左腕の上と下をそれぞれ掴んで、肘を本来とは逆方向にぐんにゃりと曲げさせて頂く。ちょっと荒っぽいが、仕方あるまい。

 低い衝撃音が聞こえた――痛そうだ。かわいそうに。

「……何してくれんだよ」

 苦悶に歪んだ表情を浮かべて、恨みのこもった声で言う。

「右腕も折るけど、良い?」

「やめよう。あんたはさっきから理不尽な動きばっかりだ」

「怪盗だからね。ガムテープある?」

「テーブルの上にあんだろ」

「そうか、ちょっと待ってて」

 髭男の動きに一応注意しつつ、ガムテープを回収する。幸い、その間も男は突っ立っていた。

「……何もしないの?」

「無駄な労力は使わない主義だ」

「そう」

 拍子抜けというか何というか、だ。

 両手足を縛ってもウンともスンとも言わない。喋る労力をも惜しんでいるのかもしれない。あとの二人もしっかり固定しておく。

「通帳は?」

「机の二番目の引き出しの底、Y銀行」

 引き出しの中はグチャグチャだったが、全部いっぺん除けてみると見事に通帳が現れた。

「金額は……ん?」

 詐欺グループにしては微妙なお値段だった。まあ、あんまり多くても処理に困るといえばそうなんだけど。

「最近は実入りが悪いんだ」

「……これ以外にはないの?」

「ないな。天地神明に誓って」

 ……信用できない。

 だが、他の引き出しも調べてみても収穫はなかった。

「質問なんだが」

「なに?」

「俺たちはこのまま放っておかれるのか?」

「さあ?」

「……勘弁しろよ」

 ちょっと同情しかけたが、その必要はなかった。存分に反省するなり正義の怪盗を恨むなりこれまでの人生を振り返るなりしてくれ。

 私はまだやることがあるから。



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