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怪盗セイント・シュガー

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 駅前の銀行で、残っている金額が少なくて良かったと思った。ATMの限度額という概念をすっかり忘れていたのだ。今は私やあの詐欺師みたいなヤツに悪さをさせないために、ATMでは一日五〇万円までしか引き出せないのだそうだ。ある意味幸いなことに、残高はギリギリその範囲内だった。

 ついでに、銀行で千円札にして揃えるのにだいぶ手間がかかった。窓口と両替機はもう動いていないから、両替ボタンを押しつつ一万九千円を何度も何度も引き出して、警備員にものすごく怪訝な目で見られた。

 私が捕まらないという確証は「怪盗≠佐藤聖」であると認識をしてもらう、という前提の上に成り立っている。だから、怪盗自体の行動が割れる分には一応は問題ないんだけど……やっぱり落ち着かない。

 銀行を出て、栞の店が設置されているあたりに目をやると、栞の後ろ姿があった。私がそっちの方から来るものと思っているらしく、駅の方を不安げに見上げながら立っている。

「しーおりっ」

 後ろから抱きつく。不意打ちで。

「わぁ」

 振り返った栞の瞳は、驚いたというよりは楽しげに、爛々と輝いていた。

「ほれ」

「きゃん」

 あるよなないよな胸などもみしだいてみる。ちょっと久しぶりなので、慣れない感じだ。全体的に、もうちょっと柔らかい方が好きかな。

「ふふん、さては気づいてたな?」

「え、どうして?」

「あんまり驚いてないもん」

「当たり。だって、銀行に入ってくとこ見ちゃったから」

「ん、それでもあっち向いてたの?」

 普通は人が来る方を向くだろうけど。

「そしたら何かしてくれるかな、って思って」

「一本取られた」

「でも、この後どうするのかは分かってないわよ?」

 まあ、話してないからね。

「教えて欲しい?」

 私から聞くより、私の行動を読めた方が嬉しいんじゃないかな。

「折角だから、知らないままで」

 それなら、場所だけ告げよう。ちょっと難しいけど。

「じゃあ、五分したらあの通りを入って二つ目の角のあたりで。その後はまた明日、ってことで」

 駅前から斜めに伸びる路地を指差して言う。

「ふふっ、分かった」

 その分かった、は約束が分かった、なのか、私のしたいことまで全部分かった、なのか。

 どっちでも、きっと嬉しい。

 

                    *

 

 昨日の夜の工事現場に、昨日と同じように忍び込む。

 今日はゴロンタが斥候をしてくれなかったけれど、まあ工事は終わっているからきっと誰もいないはず。

「あ」

 予想は、見事に裏切られた。

 しゃがみ込んでいた男の子と目が合った。私より年下に見えるが、作業着のニッカボッカはすっかり着古されている。

 足元には、まだ火のついた煙草。驚いて落っことしたらしい。ごめん。

「……あんた、何?」

「ごめん、ちょっと静かにしてて。面白いモン見せたげるから」

「答えになってねえよ」

 すぐさまそう返すあたり、頭の回転は良いのかもしれない。

「じゃあ答えるよ。私はね、怪盗なんだ」

「か……怪盗?」

「そう。怪しい盗人の怪盗。で、今から私は盗んだ金をここの上からバラまく、ってわけ」

「素直にもらっとけば?」

「そうもいかないんだわ、コレが」

 別にお金がそこまで欲しいわけじゃない。単に栞と組んで変なコトがしてみたかっただけだから。

「ふうん」

「じゃ、私は行くけど。誰にも言わないでよ?」

「ああ、そーだな」

 ……適当な返事だが、まあ構うまい。大方、頭のおかしい女がいるぐらいに思っているんだろう。

 札束が降ってきたら、どんな顔をするのやら。

 

                    *

 

 階段をくるくると駆け上がる。一番上に着く頃にはバターにでもなっていそうだ。

 うん、やっぱり金額は少なくて良かった。右手にぶら下がる鞄が重かったら嫌になってる。

 上れば上るほどに、調子の外れた口笛みたいな音を立てながら、生暖かい風が強く吹き付けてくる。雨でも降り出しそうだ。急ごう。

 階段を駆け上がりながら、地上に向かって語りかける言葉を作り出す。一体、何をどう説明したら良いんだ? ただ空からお金が降ってきてもインパクトはちょっと弱い。

 詐欺師の金だと言えば罪悪感は薄れるけれど。下にいる人間が全て善人とは限らないわけで、だったら何て言うのが正しくこのお金を世の中に還元する方法になるんだろうか……?

 いや、やめよう。

 そもそも正しい還元の仕方では全くないのだから、如何に人々を驚かせるか、という観点から考えよう。だとしたら……そうだな。

 一番上の階の鉄骨をゆっくりと反対側まで歩く。通りの方を見下ろせば、街をゆく人々が点々と動いているのが見える。遠すぎて明かりの中の黒い点ぐらいにしか見えないけれど、その動きははっきりと見て取れる。

 鉄骨の際にまっすぐ立って、メガホンを持って。

 さて――始めよう。

 まずは、千円札の束を数十枚手にとって、一枚一枚をそっと落っことす。風が吹いているから、真下に落ちることはない。

 一番最初の札が地面に着いたぐらいで、喋り始めることにした。

「えー、ただいま降ってまいりますお金は――元は詐欺師の儲けた金にございます――」

 何人かが立ち止まってこっちを見上げている。

「わたくし、その金を盗み出して参りましたが――如何せん、本来の持ち主が分からなくなってしまっているのです」

 さて、ここからだ、問題発言は。

「そこで、あるべきところにこのお金を戻すために――ご通行中のみなさまで、このお金を受け取る資格が『ない』と思われる方、自分はこのお金を『受け取れない』と思う方は――今から降らせるお金をお受け取りになってください」

 自分は善良だから受け取って良い、なんて思っちゃってる人よりも、そんな人が受け取った方がたぶん良い。もちろん、持ち主に届けば一番良いわけだけども。

 下から野太い声が聞こえる。何言ってるのか良く聞こえないけれど。人も段々集まってきた――うむ、良い感じだ。

「引き続きー、私はここからお金を投げますが――私の言ったように、貰う資格のない方こそ、率先してお札をお取り下さい」

 花さかじいさんの如く、千円札の束を数十枚ずつ手にとって、バラバラにして空へと放る。風が一枚一枚を乗せて、どんどん投げた紙片が遠くなっていく。その間も、手元の札束を分けては投げ、分けては投げ。

 五〇〇枚近いから、手早くやらないとキリがない。

 次の束を手に取ろうと鞄に手を突っ込むと、札束の方から飛び出してきてくれた。それは淡い青の光を放ちながら、地上の一点へと真っ直ぐに飛んでいく――え、何で?

 地上からも、喧噪と混乱が伝わってくる。ざわざわとした意味をなさない声の集合の他に、時々叫び声が聞こえて……その中からも、同じように光るお札が飛んでいくのが見えた。

「……なんじゃ、こりゃあ」

 ともかく、取り繕わなくては。

「皆様――お札というのは生き物だったようです。彼らは帰巣本能を以て、本来の持ち主のところへと帰っていったのです」

 何でこんなことになってるんだろう――全くわからない。

 ともかく、メッセージカードの入った封筒を鉄骨にくくりつけて、逃げよう。

 

                    *

 

「聖……凄いよ」

 地上では、常識を超えたことが起きていた。

 屋上から怪盗が金をバラまくのは、まだ栞にも予想できる範囲だった。それでも栞にしてみれば、十分に面白かったけれど。

「秘密の呪文で大変身……」

 人波の向こうから、声がした。最初は、何か変な人がこれに乗じて現れたのかな、なんてことさえ考えた。

「ロサロサギガギガギガンティアー!」

 だけど、まさか――本物の、魔法少女が現れるなんて!

 そういえば、聖は栞にもちょっと言っていたっけ。妹が魔法少女になった、なんて。

「おい、何だアレ?」「……うそお?」「え、なんなの?」

 その魔法少女を、人々が遠巻きに眺める。無理もない。彼女は誰がどっからどうみても、実際に変身していた。

 光に包まれながら変身した白いドレスの少女は、隣に立っている子に耳打ちをした。その子はリリアンの制服を着ている。……打ち合わせ不足かなあ? それとも、ここまで込みで聖の演出とも考えられる。

 どっちにしろ、変身した時点でそれは十分に魔法であったのだけれど。

「お金よ……あるべきところに還りなさーい! えーい!」

 呪文でも何でもない、ただの命令だった。

 だけど、その言葉を聞いたお札は次々に光り出す。空に舞っていたものも、地に落ちたものも、誰かの財布に既に入っていたものも。

「ほんとに……魔法だ」

 札束が、軌道を描いて飛んでいく。

 その先は、工事現場の中。

 あるべき場所って……どういうこと?

 

                    *

 

 それよりほんの少し前のこと。

 志摩子が駅前でバスを降りると、目の前に空からお札が降ってきた。慌ててキャッチしたは良いけど、どうしたらいいのだろう。やはり警察だろうか?

「お姉さま……これ、本物なんですかね?」

 隣にいる乃梨子が、ちょっと穿った感想を口にする。周りを見ると、同じように千円札が何枚も舞っている。確かに、バラまくようなものなら偽物かもしれない。

 手にしたお札を広げたり折り曲げたりして、確かめてみる。

「透かしとかも、ちゃんと入っているわ」

「じゃあ……本物?」

 乃梨子が空を見上げた。志摩子も乃梨子の目線の先を見ると、工事現場の一番上に人影のようなものが見えた。

「えー、ただいま降ってまいりますお金は――元は詐欺師の儲けた金にございます――」

 アレが、この札束を撒いている張本人のようだった。

「わ、凄い……何じゃありゃあ」

 乃梨子の言葉遣いが多少乱れたって仕方ない。こんなことは、滅多に見かけるものではない。

 志摩子は、言葉が出なくなっていた。もちろん、驚いていたというのもあるけれど――メガホンで歪んだその声は、たしかに聞き覚えがあるような気がした。

「わたくし、その金を盗み出して参りましたが――如何せん、本来の持ち主が分からなくなってしまっているのです」

「はあ……凄い人がいるものなんですね、お姉さま」

「え、ええ……お姉さま?」

 志摩子にとって、その言葉で思い当たる人は、ただ一人。

 ……まさか。

「あの、お姉さま? どうかしたんですか?」

「何でもないの、乃梨子。ちょっと、考え事をしていて」

 あの屋上にいるのが聖さまだ、なんてことは、普通に考えてあるわけがない。

「そこで、あるべきところにこのお金を戻すために――ご通行中のみなさまで、このお金を受け取る資格が『ない』と思われる方、自分はこのお金を『受け取れない』と思う方は――今から降らせるお金をお受け取りになってください」

「志摩子さん、さてはその一万円札をどうするか、で悩んでるでしょ?」

「――それも、あるわ」

 志摩子自身、確かに受け取る資格がないと思う。だけど、だからといって受け取るのは何かがおかしい――そうだ。

「乃梨子。あるべきところに返したい、ってあの人は言ってるのよね?」

「そうですが……お姉さま、何かいい考えでも思いついたんですか?」

 乃梨子が、戸惑いと期待の混じった目で聞く。

「ええ……魔法よ」

「魔法、ですか?」

 乃梨子は目を丸くして驚いている。志摩子の口からそんな言葉が出たのが、よっぽど意外だったのだろう。

「そう。行くわよ?」

「ちょ、志摩子さん?」

「秘密の呪文で大変身! ロサロサギガギガギガンティアー!」

「な……え、し、志摩子さんが……ろさろさぎがぎが、ぎがんてぃあ?」

 乃梨子は、完全にパニックに陥って硬直していた。無理もない。

「そう、私は魔法が使えるようになったの」

「え、でも。そんなことって」

「信じられないと思うけれど、本当に使えるのよ。今だって、こんな風に変身したでしょう?」

「んー……志摩子さんがそういうなら、そうなんでしょうけど」

「そう。でも、変身が目的じゃなくて、これからが本番だから」

 乃梨子の隣から一歩前に出て、ステッキを振り上げる。それにどんな意味があるのかは志摩子も知らないけれど、この方が上手くいきそうな気がするのだ。

「お金よ……あるべきところに還りなさーい! えーい!」

 舞っていたお札が次々に淡く光り出し……工事現場の中へと吸い込まれていく。

「失敗かしら?」

「いいえ、お姉さま。きっとあそこが……あるべき場所なんです」

 乃梨子はすっかり、魔法を信じる気になったらしい。

「ふふっ、そうであって欲しいわね……」

 そんな乃梨子の頭を撫でてから、志摩子は変身を解くことにした。

 姉妹の回りには、黒山の人だかり。

「あら、ちょっと目立ちすぎたみたい」

「ちょ、お姉さま……どうします、コレ」

「逃げましょう」

 手を引いて走る二人は、ちょっとだけ楽しそうな表情をしていたそうな。

 

                    *

 

 さて、翌日。

 いわゆるお堅い新聞は、どこもこの事件を取り上げなかった。だって、誰が怪盗と魔法少女が出くわして、魔法で札束が持ち主の手に戻ったなんて信じるだろう? 怪盗自身も、魔法少女自身も、何が起きたか分かっちゃいないってぐらいなのに。

 唯一この事件を扱ったのが――夕方のTスポーツ。

 飛ばし記事と無茶な見出し構成で知られる、伝統あるスポーツ紙である。

『白薔薇の怪盗と魔法少女、突如現る!』

 なんて見出しが躍っていて、記事の方には、事情を知らない人が見たら、ただの作り話としか思えないようなことが書き散らかされていた。

 もっとも、私にしてみれば――恐らく、全て本当のことだと思えたんだけれど。

 記事を読み終わって、私はため息をついた。

 あの工事現場の屋上に、怪盗からのメッセージを残してきたおかげで、詐欺師達は一網打尽で皆逮捕されたらしい。もちろん、栞に相談に来たあの男もだ。

 地上に現れた魔法少女とやらの目撃談を総合すれば――どうみても志摩子だ。もう一人女の子が一緒にいたというのは、志摩子の妹のことなのかもしれない。

 札束の飛んでいった先は、工事現場で会った少年のところだったらしい。なんとまあ、彼の母は先日まさにこの犯人たちによる詐欺に遭っていたのだという。

 良かったは良かったんだろう。

 けど、釈然としない。

「聖、どうしたの?」

 今日も占い師の格好をした栞が、私に聞く。

「ううん……なんか、物足りないな、って」

 そう。これだけ滅茶苦茶なことをしたところで、大した騒ぎにはならなかったのだ。計画が失敗しなかったという意味では嬉しいけれど、怪盗の名は全く轟かなかったし。

「そう?」

「そうよ。結構大変だったってのに、ねー?」

「でも、詐欺師は捕まったしお金は戻ったわ」

「ま、今回はそういうことにしておこうか」

 言葉にしたら、自分でも納得できた。

 今回は、丸く収まっただけでも上出来だ。

 だけど、今度があるなら。

 ――今度こそは、街の一つぐらいは驚かせてやろう。



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