3
傷口を洗い流してから、絆創膏を貼ってもらって。
再びお茶の時間である。
「どうぞ。先ほどは、うちの少女が失礼いたしました」
「いえ、もう大丈夫です。……良くあることなんですか?」
紅茶をかき混ぜながら聞いた。
私が怪我したときも、割と落ち着いてたからなあ。
「いいえ。わたくしが見てきた中で、このような形で人に危害を加えたのはあの少女だけでございます。元々、あの少女は改良種の……いわば、プロトタイプなのでございます」
「改良種? 品種改良みたいなこと、観用少女でもするんですか?」
故郷のビニールハウスが頭に浮かんだ。
「ええ、その通りでございます。何しろ、お客様のニーズは多様ですからねえ。あの少女は――『愛する』少女として作られたはずだったのです」
「愛する……?」
「ええ。本来、観用少女というのは愛されるだけの存在であって、自発的に愛を持つ、という風には作られていないのです。希に人と本当に心を通じさせる少女もおりますが――あくまでも、それは例外。いわば奇跡でございます」
「……奇跡を、作ろうと?」
「そういうことになりますねえ。しかし、私どもの予想できない事態が起こりました」
「それが、さっきの……ということなんですか?」
「半分はその通りでございます。もう半分は、他の少女を見て『目覚めて』しまった、ということでございます」
「目覚めて、って?」
「先ほども申しましたように、少女は普通、気に入った人間を見て初めて目覚めるものなのです。ちょうど、奥にいた少女が貴方を見て目覚めたように」
「あ、そうでしたね」
ってことは、観用少女相手に目覚めるってことは普通ないのか。
「一度目覚めた少女は、普通ですと他の人間には目もくれなくなるのです。ですから、あの『愛する』少女も同じようになったと考えられ――職人の元に一旦帰そうと思っていたところなのですよ」
「少女しか見てない少女じゃあ、売るわけにもいかないんですかね」
「ええ。是非にと好事家の方々が申されれば別ですが――今のところ、そのような方も現れておりませんので。何しろ、少女は目覚めた相手のところでないと、行きたがらないものと相場が決まっております。さらに、その目覚めた相手からの『愛情』が足りなければ、『枯れて』しまうのでございますから」
なるほど。観用少女が趣味な人なら、なおさら枯らしたくないと思うだろうからなあ……って、あれ。
「あの奥にいた子は、『目覚め』たんですか?」
「その通りでございます。貴方に引き取って頂けるのでなければ、職人のところに帰して、再び『眠らせる』必要がございます。結構手間と費用がかかるのでございますよ?」
「大変ですねえ……」
そこでふと思い当たった。鈍い私だって気づく。えっと、もしかして。
「私に買え、って言ってますか?」
買えない。絶対買えないって、こんな高そうなモノ!
「そうして頂けると当方としては大変助かるのですが――おっと。しかし、先ほど怪我をさせてしまったお詫びということで――お望みならば、二人まとめて差し上げましょうか? 先ほど目覚めた方は、特にそういった事情のない、とても上質の少女でございます。『愛する』少女については、品質の保証はいたしかねますが」
「……え、ええっ!?」
もらっちゃっていいのか。それはそれで、凄い罪悪感がある。
「お嫌でございましたか? 無理にとは申しません」
「えっと、嫌じゃないんですけど、二人とも可愛いし、素敵なんですけど――こんな高そうなものただでもらっちゃ悪いですし、世話しきれるかも分からないし、だいたい二人とも可愛いし、もうお話できたってさっき勘違いしたぐらいには好きなんですけど、でも見ての通り、ちゃんとした値段で買えるほどお金ないですし――どうしたらいいんでしょう、私?」
喋っていてわけが分からない。
「お客様、お茶をどうぞ」
いつの間にか空になっていたカップに、紅茶を注いでくれた。
「あ、ありがとうございます」
そうだ、頭の中をとりあえず落ち着けよう。砂糖とミルクを適当に入れ、乱暴にかき混ぜて一気にカップを傾け――。
「あふぅっ!?」
舌から喉まで火傷しかけた上に、間抜けな叫びまでついてしまった。
「それでは、このようにいたしましょうか? 貴方は自分が納得できる金額を決めて、この二人を引き取るというのは」
その間に、お兄さんがしゃべり出す。……それ、いくらを書いたらいいのか全く分からないよ。だけど、一応お金は払ってるわけだし、多少罪悪感は残るかもしれないけど――ギリギリ払える金額に設定すれば良い。
「世話とか、大丈夫でしょうかね? 私の家、とっても狭いんですが」
「少女は、自分を正しく扱えると彼女が判断した人でなければ、目を覚まさないものでございます。わたくしどもは少女を信じていますので」
「……なるほど」
つまりあの子は、私なら大丈夫だと思って目を覚ましたってことになる。
「私が引き取らなかったら……また、ずっと誰か来るまで眠っているんですか?」
「さようでございます」
……それもなんか可哀想だ。
でも、生活するのでやっとなのに買うなんて――いや、値段は自分で決められるんだったか。それに、最初はくれるって言ってたぐらいだし――よし。
「……少女二人、買わせていただきます」
「ありがとうございます。では、こちらにご希望のお値段を」
いつの間に書いたのか、そこには金額だけが空の領収書が。
……都会に出たら気をつけろって、婆ちゃんたちが言ってたなあ。今はまさにその時じゃないかって気がする。
高いモノを買うときの注意……高いモノ……アンティーク……あ、そういえば。伝統あるお城とかは、確か売値は凄く安いんだ。
なんでかといえば。
「あの、維持費が凄くかかったりしないですよね?」
「そうですねえ……専用のミルクなどもございますが、普通のミルクと砂糖菓子で十分に育ちますし、服などもたまに洗って頂ければ十分でございます。ああ、お風呂は毎日入れてあげた方が良いですが」
……まあ、手間はかかるが、法外に金がかかるって感じではないか。
「分かりました。……それと、分割払いってできますか?」
「ええ、対応しておりますよ」
「……でしたら」
我ながらしつこいとは思うけど、私にとっちゃ恐ろしく高い買い物だからなあ。
「貴方のような方でしたら、わたくしどもとしても安心して少女を譲れます。貴方にとって高い金額をつけていただけるのでしたら、気持ちもそれだけのものになりましょうから」
……うう。そこまで言われたら、払える限界の値段にしなきゃいけないじゃないか――。
「これを一年払いで、いかがでしょう」
記された金額は、週五で働いて二ヶ月分だ。
受け取った紙片を見て、お兄さんは口の端をつり上げてにっこりと笑った。
「お買い上げありがとうございます。少女もとても喜んでいるでしょう」
その言葉通りだった。
狙ったかのようなタイミングで、少女二人がカーテンの影から飛び出してきた。白いドレスの子が私に走り寄り、黒いドレスの子が追いかける。白い子が私の脚に抱きついて、にかっ、と私に微笑みかけた。輝く瞳が私を見てる。
「うわ、眩しい……」
その後ろから来た黒いドレスの子が、私の顔を悔しそうな表情で見上げている。目が少しばかり潤んでいる。白い子が私に懐いてるのが気にくわないんだろうなあ。
……生意気盛りの男の子みたい。これはこれで、可愛らしい。大変そうではあるが。
これから、この二人と暮らすのかあ……。楽しそうじゃないか。表情筋が弛緩してきた。にへらー、っとさぞ情けない顔をしていることだろう。
「……っと」
お兄さんが私を微笑みながら見ていた。
「お客さま、笑顔の方が可愛らしいですよ」
「な……な、えと……ありがとうございます」
皮肉とかには見えない。
何を言い出すんだ、と言おうかと一瞬思ったがやめた。折角誉めてもらったのを打ち消すこともない。
「ええ。少女にしても、貴方に引き取られて嬉しいことでございましょう」
それはなかろう。少女のが数桁違いで可愛い。
……というか、恥ずかしいので話題を変えよう。
「そうだ。この子達の名前、教えていただけますか?」
「こちらの白いドレスの少女は、緋色の緋に黎明の黎、で『緋黎』でございます。お客様もご覧になられた通り――瞳の色から名付けられました」
なるほど。言われてみれば、この真っ赤な瞳は夜明けにも似ている。
「そして、もう一人……黒いドレスの少女は、名前がついていないのでございます。何しろ、改良種の一人目でございますから」
「じゃあ、私が名前をつけるんですね?」
「そうするべきかと思います」
「こっちの子は『緋黎』、かあ……釣り合う名前じゃなきゃなあ……」
黒を纏った彼女の瞳は、宵闇の色。だけど、それをそのまま名付けるのは適切とは思えない。暗い感じじゃないか、宵闇の名なんて。
「宵闇――蒼紫――紫苑――」
どれもいまいちピンと来ない。というか、明るい感じにならない。
……そうか。宵闇と明け方前の色は、似ている。
「朝靄――朝霧――うーん……奇跡、ねえ……」
朝と奇跡。蒼い夜明け。何か思い出せそうなんだけど。
寒そうだ。冷えた夜明けの幻想――ああ、そうか。
「ダイヤモンドダスト!」
「ああ、北の方ではそんなこともあると言いますね――寒い地域のお生まれでございますか?」
「ここよりは。でも、私の故郷ぐらいではまだ見られませんよ。もっとずっと北の方でないと」
雪はたくさん降るけど、そこまで寒くはない。
「そうですか。それを、そのまま名前に?」
「そのままとなると『氷霧』ですけど……そうだ、『氷霞』にしましょう。霧より霞の方が、なんていうか……雅やか、だから」
それに、呼ぶ時も「か」で終わった方が可愛らしいと思う。
「また変わった表現をお使いになられるのですね。しかし、美しいお名前でございます」
どこからともなく紙と筆を取り出し、ささっと紙に文字を書き流していく。
「……おお」
台紙だけを下敷きに適当に書いていたにも関わらず、お兄さんの達筆ぶりが発揮されていた。流れるような草書で少女達の名前が書かれ、後ろには私の書いた金額が添えられていた。
今の会話で『氷霞』の漢字が分かってるのも凄いが。
領収書を全部筆で書く人には、金輪際お目にかからないと思う。
「こちら、領収書となります。よろしゅうございますね?」
「はい」
お兄さんが書類を棚に収めにいく。私は椅子を降りて、少女達と同じ目線で話しかける。
「よろしくね、緋黎、氷霞」
緋黎が、私にぎゅっ、ってくっついてきた。
氷霞はぷい、とそっぽを向いた――でも、無視はされてないから、この名前で良いのだろう。
「ふふっ、それでは。彼女たちの世話の仕方についてご説明いたしましょう」
こうして。私と少女達の生活が、始まった。