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観用姉妹

                    4

 

「お買い上げありがとうございました。また何かあれば、いつでもいらしてくださいね」

 育て方やら何やらについて一通りのレクチャーを受けて、私はこの店を去ることになった。

「こちらこそ、ありがとうございました。失礼します」

「お気をつけて」

 店の扉を開けて、二人の少女を先に通す。

 お兄さんはタクシーを呼んでくれると言ったが、断った。大した距離じゃないし、家は路地の奥だから手前の方から歩かなきゃいけないし。

 お兄さんに頭を下げて、私も店から出た。

「行こうか」

 二人を順に見る。緋黎は私を見上げて、何か言いたそうにしていた。一方、氷霞は勝手に歩き出してしまう。

「氷霞、そっちじゃないよ」

 そのまま進んでいったらどうしようと思ったが、ちゃんと方向転換してくれた。

 この子達、ちゃんと車とかよけられるのかな? ちょっと心配。

 そっか、手を繋げば――って、両手が荷物で塞がっている。だからタクシー呼んでくれる、って言ったんだなあ。納得。

 とりあえず、できるだけ車通りのない道を選んで進むことにしよう。

 向こうからやってきたおじさんが、私たちを不思議そうに見ていた。

 そっか、傍から見れば変な取り合わせだ。

 観用少女だと気づかなかったとしても、着飾るという言葉からはずいぶんかけ離れた女が、綺麗に着飾った幼い少女二人を連れて歩いているという図になる。客観的に見たら、誘拐犯かなんかのように見えるんじゃないか。

 ある意味、大差ないのかもしれないが。

 夜とはいえまだ早い時間帯。裏通りでも人通りは一応ある。……目立ってるなあ。

 荷物の重さからも早く解放されたくて、気持ち早足で歩いていく。

「……あ、あれ?」

 気づいたら、二人の影が後ろに行ってしまっていた。

 荷物を置いて駆け戻る――良かった、見える範囲のうちに気づいて。でなきゃいきなり生き別れなんていう悲惨すぎる事態になっていた。

 二人は、手を繋いでゆっくりと歩みを進めていた。小さな身体には、私にとっては大したことない距離でも、結構負担なのだろう。

「ごめんっ!」

 緋黎が涙を浮かべながらも、私のことを見上げて笑う。……うう、悪いことした。

「痛っ」

 氷霞が私の向こう臑を蹴っ飛ばした。でも、文句は言えない。

「手、繋ぐ?」

 緋黎が縦に、氷霞が横に首を振る。

「そっか……じゃあ、こうでいい?」

 緋黎を挟んで、氷霞と反対側に位置取った。緋黎の手は、私のよりずっと柔くて温かい。彼女の反対側の手は、氷霞と繋がれている。

 さっき荷物を置いたところで一旦停止。紙袋二つを左手に持つと、かなり厳しい。だけどそれでも今は、手を繋いでいることの方が大事で。

 そのうち、氷霞とも直接手を繋げるようになればいいけれど、今はまだ我慢。

 それが、今の私たちの距離だから。

 

                    *

 

 コンクリートのアパートの見慣れた階段。

「上ってもらう、ってのは……ないなあ」

 彼女たちの身長は私の半分かそこいら。古いアパートの階段は一段が二十五センチぐらいあるから、ちょっと危なっかしい。おまけに三階まであるから、疲れてる二人にはキツいだろう。

「よし、じゃあ緋黎から。抱っこするよ?」

 口に三日月を浮かべた。……うう、可愛いよう。脇の下に手を入れて、ぐいっと持ち上げると、私の首にぎうっ、としがみついてくる。

「ちょ、あ、首絞まってるよ」

 くっついてくるのはうれしいけど。

「それじゃ、氷霞はここで待っててね。すぐ戻ってくるから」

 氷霞は緋黎の方をぼーっと見ている。

「氷霞? 大丈夫だよね?」

 もう一度呼びかけて、ぷいっ、っとそっぽを向いたので安心した。安心するべきなのか分からないが。

 急な階段に立ち向かう。転ばないように、雪の上を歩く時みたいに一歩一歩上っていく。

 すごい一日だったなあ。

 夕方まではこんなことになるなんて全く思ってなかったわけで、二人と出会って一緒に暮らすまではたったの数時間だけ。

 ……生きてると、こんなこともあるんだな。

 ふと冷静になってから、膝の傷が痛みはじめた。まだだよ、まだ歩かなきゃなんないんだから。

 三階に上がり、私の部屋の扉を開ける。

「ここが私の部屋。……氷霞連れてくるから、少し待っててね」

 扉を閉めて、階段を下りる。

 あと二往復、か。

 一階に下りると、アパートの明かりで照らされた中に氷霞の姿が――なかった。

「氷霞?」

 紙袋はそのまま残されている。

 ……嘘?

「氷霞! どこ行ったのー!?」

 呼んだけれども返事はない。そうだ、彼女たちは返事をしないんだ。

 ここまで来た道の方を見てもいないし、あとは……あたりをぐるっと見回す。

「いた」

 ――良かった。灰色のコンクリートをむき出しにした階段の影の薄暗くって目立たないところで、氷霞はちょこんと体育座りをしてうつむいていた。そうしていると、彼女の姿は一層小さく見える。

 私にナイフを向けたあの子と同じだとは思えなかった。

「氷霞、行くよ?」

 話しかけても、彼女は反応してくれない。

「緋黎に会いたいでしょ?」

 緋黎の名を聞いて、彼女は私にようやく瞳を向けた。潤んだ目が悲しそうに揺れていた。目を伏せて唇を噛み、苦々しい表情を浮かべる――少女に似つかわしくない表情。

 なのに、とっても美しくて、ずっと見ていたくなる。

 さしずめ今の私は人さらい。――構わない。

「ほら、掴まって」

 強引に抱き上げて、階段を上る。最初こそ首を振っていたが、そのうち反応がなくなった。納得したというより、諦めたとか力尽きたという単語が浮かんでくる。

 それも全て、私の想像にすぎないんだけども。

 三階に上がって扉を開けると、緋黎がぱぁっ、と全て吹き飛ばすような笑顔で私たちを迎えてくれた。

 それを見て、氷霞がふらふらと歩いていき、緋黎に抱きとめられる。――ああ。なんだか、羨ましいな。

「私は、荷物取ってくるからね」

 最後の一往復は、少し寂しかった。おまけに膝がちょっとガクガクし始めた。……疲れてるのかなあ?

 ともあれ、手っ取り早く紙袋を回収して部屋に戻る。

 三度扉を開けた時、少女二人はまだ同じ姿勢のままくっついていた。緋黎に氷霞がすがっているみたい。

 何と話しかけて良いものか。あるいは話しかけなくて良いものか。よく分からぬままに、言葉が滑り出していた。

「……ただいま?」

 

                    *

 

 帰ってきた時間は、既に結構遅かった。

 二人とのんびり過ごすのも良いかな、とは思ったけれど、まず我が家には晩ご飯がないのだった。

 現実とはそんなものである。残念ながら、私はミルクと砂糖菓子じゃ生きていけないのだ。

 というわけで、足を引きずりそうになりながらも近所のコンビニへてくてくと歩いていった。

 その道のりは、実際以上にずっと長く感じた。家でのんびりしてればご飯抜きでも良かったかなって思うぐらいには。

「ただいまー」

 居間にいた緋黎が、扉の開く音に反応してぱたぱたと駆け寄ってくる。本当に待ちに待っていたとでも言いたげな笑顔――そんな顔してくれるなら、私は何度だって「ただいま」ってし直したくなるよ。私の脚にぎゅっと抱きついてくる。ミルクの香りがふわー、っと流れてくる。

 あ、ミルクあげなきゃいけないんだよね。人肌に温めた上で。……時間かかるから、その前にシャワー浴びさせた方が良いか。

 彼女たちは人間ほどの頻度でシャワーを浴びる必要はないらしいけれど、やっぱり女の子だし、今日は初日だし。

「それじゃ、シャワー浴びちゃいましょうね?」

 おお、珍しく氷霞まで頷いた。浴室にふたりを連れて行く。

 我が家のユニットバスには、浅いけれど浴槽がある。蛇口の配置がその中でシャワーを浴びるようにできているので、入るとなれば浴槽の縁を乗り越えなきゃいけない。ちょっとこの子達には高すぎないかな。

「どう? 私も一緒に入った方がいい?」

 緋黎が俯きかげんで目を伏せてしまった。

「えっと……緋黎?」

 俯いたままの緋黎の手を取って、氷霞が緋黎の前へと進み出てきた。何だろう?

「あだっ」

 ……向こう臑を蹴っ飛ばされた。ご丁寧に「あっかんべー」までつけて、だ。

「何が言いたいの、氷霞……あだだっ」

 同じ所をグーで叩かれた。大した力はないから良いけど、何が言いたいのか分からないのが寂しい。

「ええっと……私は出て行った方が良いの?」

 大きくはっきり頷いた。

 意思の疎通が成立したけど、あんまり嬉しくないねえ。

「緋黎もそう思う?」

 これで首を横に振られたら、私はどうしていいのか分からなくなったろうが。幸か不幸か、彼女もこくりと頷いて、私の質問を肯定した。

 ……なんでだろ? 最初だからやっぱ緊張とかしてるのかな?

「分かった。ええっと、シャワーの使い方は……」

 ノズルを手にとって、右側のハンドルをひねる。冷えた水が浴槽に叩きつけられ跳ね上がる。

「水はこっちで出したり止めたりして」

 左側のハンドルを合わせる。確か人の体温ぐらい、とお兄さんは言っていたっけ。氷霞の手を取り、ノズルから吹き出す水の筋に触れさせる。

「氷霞、お湯の温度、これぐらいで大丈夫かな?」

 ……どこまで理解されているんだろうか? 実は私が勝手に喋ってるだけなんじゃないよな。

 ともかく、出て行った方が良いなら出て行こう。そうすりゃミルクも暖められる。

「それじゃ、洗面所に着替え出しとくからね。ごゆっくり」

 浴室を出て、もらった紙袋から彼女たちの替えのドレスを取り出す。几帳面に折りたたまれた、白と黒のフリルの塊。これが少女に着せるとあんなに可愛らしくなるから不思議だ――まあ、ボウルの中の生クリームとデコレーションケーキの違いみたいなものか。

 扉を引き、洗面所に入る。折り畳まれたのと脱ぎ散らかされたのが一着ずつ。折り畳まれた方が――氷霞のものである。

 ……アレでなかなか礼儀正しい部分もあるのかもしれない。

 冷蔵庫から牛乳を取り出し、少女のための小さなカップに注ぐ。こういう小物が多いから、持って帰ってくるのが大変だったのだ。

 しかし、どれも高級っぽい品だ。この小物だけで私が払う金額を超えてるんじゃないだろうか。

 陶器のカップは二つとも冷たい。ベッドの頭の上のところにある小さな木のテーブルにカップを置く。うつ伏せになって枕に顎を預け、二つのカップを手で包み込む。

 温まるまでには、ずいぶんと時間がかかりそうだ。

 ――シャワー終わるまでに温まるかな?

 それまで何をしていようか。特に思いつかず、まぶたが落ちるままに任せた。

 

                    *

 

 肩を揺さぶられて、眠りから微睡みへ。

 その力は弱く、なんだかこそばゆい。

「ん……誰?」

 寝ぼけた頭に心当たりはない。

 ここは私の部屋なはず……って、そうか。

 重いまぶたを持ち上げる。部屋の光の中で、氷霞が私の肩を持っていた。

「ありがと、氷霞」

 私が声をかけると、目をしばたたかせながら、ぴょこんとベッドから飛び降りた。

 起き上がろうとして、両手に握ったままのカップの存在を思い出す。幸い、うたた寝してる間も手は離してなかったらしい。冷たくなくなっている。

 起き上がって、カップを二人に差し出す。

「飲むよね?」

 頷いた緋黎に、氷霞が目配せをした。氷霞は私の手からカップをひったくるように奪い、一気にミルクを飲み干した。

「そんなに喉渇いてたの?」

 それから氷霞はもう一つのカップを手に取り、うやうやしく緋黎に捧げた。女王と騎士、って感じだ。

 氷霞はすました顔でよそ見をし、緋黎は優雅にミルクをちびちびと飲んでいる、

「……毒味?」

 私の小さな呟きは、誰にも届かず消えてった。

「シャワー浴びてくるけど。眠くなったら先に寝ちゃってて良いからね」

 話しかけても氷霞はそっぽを向いたまま。緋黎はのんびりミルクを飲んでいる。

 ……ちょっと不安な点もあるけれど、どうにかなると思う。可愛いし。

 

                    *

 

 シャワーを浴びて戻ってくると、二人は既に一緒のベッドで眠りについていた。手前側に緋黎、奥に氷霞。ちなみに、緋黎の手前にはまだベッドの幅が半分ばかり残っている。一人用のベッドだけれど、小柄な私と少女二人ならギリギリ入れるってわけだ。

 起こしてしまわないようにそっとベッドに上がって、緋黎の寝顔をのぞき見る。

 可憐であどけない少女が、心地よさそうに寝息を立てていた。あのときお店に居た少女達のような儚さは消え失せ、代わりにそこには安らぎと――生気が満ちていた。

 時を止めた少女達も魅力的だったけど。

 やっぱり、一緒に暮らすなら生きている子かな。

 小さな唇。上下の間がうっすらと開いている。何か美しい旋律を空へと紡ぎ出すように。

 本当は、今も歌っているのかもしれない――私に聞こえない声で、きっととっても、幸せな歌を。



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