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ふたりのシーサイド

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 来た道をだいぶ戻って、トンネルを何度かくぐって。

 聖の記憶にあるところに着いてからは聖に任せて。ちょっとした峠を越えて海沿いに出て、町の狭い県道を幾度も折れながら進む。

 時折家々の切れ間から海が見える。

 右手に見え隠れする海がいよいよ近くなって来たところで、小さな岬へ出る道へと折れた。

 傍らは漁港になっていて、トタンの小屋の向こうには何十隻も漁船が並べられている。

「ずいぶん遠くまで来た感じね」

「どう?」

「良いところじゃない」

 今度は左に折れて、岸壁沿いのまっすぐな道に出る。突き当たりは海にぶつかってもう一度折れているから、小さく突き出た陸地の突端のような場所なのだろう。

 あまり人が来るところではないのか、釣り人の姿さえない。

「着きましたよお嬢様、っと」

 車を止めて聖が笑う。

「私がお嬢様なら聖はなんなのかしらね」

「無論、執事でございましょう?」

 上半身だけで恭しく礼をする。仕草自体は悪くないけれども。

「お嬢様をカーナビがわりにする執事なんて世が世なら大変よ?」

「お嬢様、どうか命ばかりはお助けを」

「ふふっ、どうしようかしら?」

 もし仮に、私がお嬢様だったら――たぶん、今とあんまり変わらない対応をしていそうだ。

「わ、楽しそうだ。きっと使用人をいたぶって遊ぶ想像をしていたのね……恐ろしいあるじ様だこと……まあ!」

 一人で声色を使い分けて三役。

「そう、聖はそんな風に扱われたいのね」

「や、遠慮します。とりあえず降りよう」

「ええ」

 車のドアを開けると、空気の色が変わった。

「いい風」

 潮の香りに彩られた風が、穏やかに吹きつける。

 岸壁に近寄ると一層風が強くなる。波は静かに凪ぎながら、傾きかけた陽の光を反射し、鮮やかな模様を水面に描き出す。

 正面を見ると、まばらな岩の向こうは水平線まで海が延びている。右手には、小さな島と灯台。

「小さい時、叔父さんに連れてきてもらったんだ。綺麗な割にあんまり人がいないからね」

「聖の小さい頃……見てみたかったものね」

「あんまり変わらないわよ? 江利子と喧嘩してたし」

「ぷっ」

 今の姿のまま小さくなった聖と江利子が喧嘩している図。容易に想像できて、思わず吹き出してしまう。

「どう?」

「あの島って……人いるのかしら?」

 パッと見そこそこの大きさに見えるから、住めば十分住めそうだけど。鳥居があるなら神社だってありそうなものだし。

「無人島だったかな。あの鳥居はね、鎌倉時代に龍の神さまを奉って立てられたんだって」

「海を護ってもらおうってことかしら?」

「そう。鎌倉とその回りの一帯の海を護ってくれ、って当時の偉い人が思ったんでしょうね」

 なるほど。三方の山と残り一方の海だ。海の平穏ばかりは、神頼みでもするしかない。

「それで、その話を聞いて、小さい時の私は思ったわけよ。龍神様ならもっとこう、世界中とかデッカい所を護ってくれないのかな、って。鎌倉あたりだけなんてケチなこと言わずにさ」

 聖の横顔を見る。その目は、鳥居よりさらに遠くの虚空を見ている。

「でも、なんだか……今なら、分かる気がするんだよね」

 私の方に向き直ったその表情は、何かを悟ったような、淡い微笑。

「聖……?」

「守れるものなんて、そう多くはないってこと」

 すっ、と近づいて、私の両手を取る。

「ね、蓉子。今なら私、貴女の両手をとって、上手く踊れる気がするんだ」

 至近距離で私を見つめる瞳は、少しだけ不安げに揺れている。

「どういう意味な……ん、むぅ……」

 言葉を遮られた。唇をふさがれた。

 あまりにも唐突な口づけ。なんで。なんで口づけるの。

 そんな風にされたら、私は間違えてしまうだろう。聖が私の手を取って。それで恋を始めてみても良いんだ、って。

 長い口づけ。触れ合ってるというその事実だけで、心臓が突き上げて、どこか遠くに消えてしまいそう。

 初めてのキスはレモン味なんていうけど、本当だったかといえば。味なんて分かるはずがない。

 ただ、熱だけが伝わってくるのがやっと分かる。

「こうだよ」

 唇が離れる。潮風が私たちを分かつ。

「聖……なんで」

 私の頬を、涙が伝っていた。自分でも意味が分からない。

「嫌だった?」

 聖の表情が途端に曇る。縋るような悲しげな瞳。それを見て、私は確信できた。

 たぶん、今は両手を取って、ばかみたいに舞い踊る時なんだ。

「ううん、そうじゃないのよ。そうじゃない」

 急に口づけた聖。その気持ちは、きっと私も同じなんだ。さっきだって、ドキドキしてばかりで全然嫌じゃなかった。

「嬉しいんだと……思う、の」

 聖が自ら、私にこうして口づけてくれた、ってこと。

 これからもっと近い隣にいられるんだってこと。

「素直に受け取って、良いのよね?」

「もちろん」

「良かったわ。それじゃあ」

「え、よ……」

 今度は私から唇を奪う。

 私の名前を呼びかけた聖が、目を見開いて驚いてる。

 唇を貪るように吸いつく。

 そのまま、息が苦しくなるぐらいに。離してなんてあげない。

 舌を入れる勇気は、流石にないけれど。

「ふぅ」

「……蓉子、大胆ね」

「そう?」

 ばつが悪そうに私を見ている聖。

 見つめ合い続けるのもなんだか間が抜けているので、また海を見る。

 まだ感触の残る魔法がかかったような熱い唇を、海の味の風が徐々に覚ましてく。

「ねえ。道間違えたの、わざとだって言ったらどうする?」

 聖が妙なことを言い出した。

「なんでわざわざ?」

「蓉子の寝顔が見てたくて」

「……ばか」

 そんな理由。そんな、可愛らしい理由で道を間違えられたって、私はただ嬉しいだけで、でもどうして良いか分からなくて。

 頭に上った血は、思考じゃなくて顔を染めるだけにしか使われてなくて。

「ごめん、冗談」

 おおかた私が怒ってるとでも勘違いしたんだろう。だけど。

「聖。今のを冗談にする方がタチ悪いわよ」

「ああ、そうなのかな……でも、今も可愛い顔が見られて満足」

「ばっ……ぃ、いいわよ」

 反論するからいけないんだ。

「え?」

「聖になら、どんな可愛い顔見られても良いの!」

「蓉子……え、えっ」

 みるみるうちに、聖の頬が紅潮していく。どうして良いか分からないって困り顔だけど、口元は幸せそうに緩んでて。

「今の聖、とってもいい表情よ?」

「ひ、ひどくないそれ?」

 口をとがらせても、何だか嬉しそう。もっといじめてみたくなるような。

「どっちがよ」

 海は、さっきより激しく輝いていた。時間によって、その姿を段々変えていくのだろう。

「ねえ、聖。ここって、夜来たらどんな感じなのかしらね?」

「見たことないねー……それじゃ、夜になったらまた来てみる?」

「それが良さそうね」

 さて。夜までどこで時間を潰そうか。

 きっと、どこだって構わないんだ。

 そこが、素敵な私たちの場所になるから。



    終。  




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