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「何か、したいわね」
蓉子は、自然に呟いていた。
「何か、とおっしゃいますと?」
耳ざとく聞きつけたのは、妹の祥子。
六月の始まり。一年生の歓迎式も終わって、薔薇の館は若干暇を持て余していた。次の大きなイベントは、体育祭まで何もない。
となれば、何かやる機会としては適しているんじゃないだろうか、とは思うのだけれど。
「そうね……薔薇の館と、生徒達の距離を縮める何か、よ」
言葉にしてみても全く具体的じゃない。何か、としか言えないぐらいだから、当たり前ではあるのだけれど。
「距離、ですか」
「そう。ここだって、本当は生徒全員が共有する施設なのよ? 私達だけが使っているなんて、おかしいじゃないの」
「確かに、その通りです」
「ん、蓉子、何か考えでもあるの?」
書類から目を上げて、江利子が言った。痛いところを突いてくる。
「それがあったら『何かしたい』じゃなくて最初からそう言ってるわ」
「なるほど。距離を縮めるために、ねえ……」
「そう」
江利子が珍しく、まじめな顔して考え込んでる。こういう時の江利子は、ちょっと変なことを考えている可能性が高い。普段通りの思考をしてくれていれば良いんだけど、たまに明後日の方に飛んでいくから。
「イベントとかで攻めるなら、今からよね」
「……そうね。二学期は放っておいても忙しいし、その後では遅すぎるから」
何だか、江利子が変なことを考えている気がする。祥子も、それに何となく気づいたらしい。
「あの、黄薔薇さま?」
「どうしたの、祥子?」
「何か、思いつかれたのでしょうか?」
「そうね。何か、はね」
「教えてください」
ずい、と江利子に迫る。だけど、それぐらいで怯む江利子じゃない。
「焦らないの。今すぐどうこうする、って話じゃないんだから」
「私も興味があるわね」
「ふふ、紅薔薇さままで一緒になって」
「当たり前でしょう」
元はといえば、悩んでいたのは蓉子だったはずなのに、江利子が先に答えらしきものにたどり着いてしまったんじゃあ、気にもなるってもので。
「ヒント。リリアンにありそうでなかった行事」
ええっと、ありそうでなかった、ねえ。
前に聞いた、友達の公立中学校の話を思い出してみよう。春には入学式があって、一年生をお迎えして。その後中間テストで、遠足があって……ん?
「遠足?」
「あははははっ、それは良いかも」
何かが江利子の笑いのツボを刺激したらしい。椅子を倒しそうな勢いで笑い転げているが、それは重要じゃない。
「遠足ね……」
確かに、山百合会主催で行えば人は集まるかもしれないけれど。
「何かあった時責任を持てるか、って観点から言って厳しそうね」
「蓉子と遠足って似合わないわねー」
「余計なお世話よ」
自分でも、そういうキャラじゃないってのは重々承知しているんだから。
……あー、それが面白かったわけね。
「まあ、もう少し考えが纏まったら、ちゃんと伝えるわよ」
いったい何があると言うんだろうか。
生徒主導でやって問題がなくて、かつ山百合会を身近に感じてもらえるようなイベント。考えてみると、なかなか難しそうだ。
江利子はいったい、何を思いついてしまったんだろうか。
三人とも仕事に戻った薔薇の館で、私は目線だけを書類に向けて、ひたすら考えていた。
遠足が終わったら試験があって、夏休みが明けたら体育祭に文化祭。どちらもリリアンで盛大に催されてるけど……あと、合唱祭なんてのもあったな。
それかな? と一瞬思ったけれど。合唱ってのは、生徒主催でやるには、若干押しつけがましいところがあるイベントだ。
じゃあ、ちょっと拡張して音楽祭?
面白そうではあるけど、この館に生徒達を近づけるという目的とはあんまり関係がない。それに、結構演奏する側に準備期間が要るような気がするから、今からでは厳しそう。
……じゃあ、何なんだろう。
思考の迷路にはまっていく私を、祥子が物珍しそうに見ていた。
江利子は江利子で、私と同じように目線だけが仕事してる状態で、さっきの続きを考えてるみたいだし。つまり今この瞬間、誰も仕事をしていないっていうことだ。
「さあ、作業に戻るわよ」
自分に言い聞かせるみたいに宣言してから、また作業を始めたのだった。
*
昼休み。窓の外では、小雨が降っているのか止んでいるのか分からない、憂鬱な天気だった。ミルクホールの前で聖を待ち伏せていたのは、意外な人物だった。
「や、聖」
「江利子、どうしたの?」
「ここなら捕まえやすいかな、って」
「……何の用?」
ちょっとだけ身構えてしまう。背後に誰かの影を感じたから。
「あらかじめ言っておくと、蓉子はあんまり関係ないからね。むしろ蓉子に対する、一種のだまし討ちね」
「ほう」
「ねえ、聖。ギターかベース弾ける? 別に、ドラムでも良いけど」
「え……藪から棒に」
「練習期間は用意するわ。行けそう?」
彼女は、ときどき唐突だ。バンドでも組もうと言うのだろうか。……蓉子に対するだまし討ち。何となく、飲み込めてきた。
「できるかは分からないけど、面白そうだ」
「ふふ、話が早くて助かるわ。折角だから、ボーカルやらない?」
「え……何で私が?」
「そりゃあ、三薔薇じゃあ一番人気だからよ」
一番人気、ねえ。思わず苦笑してしまう。
嬉しい反面、ちょっと複雑な気分だ。それは私の人格と言うより、過去への評価だから。
「……考えておくわ。っていうか、何でバンドなの?」
「山百合会幹部と生徒達の距離を縮めるために何かしたい、って悩んでる子がいてね」
……やっぱり蓉子か。
「それで、音楽祭をやろう、って私は思ってるの」
「音楽祭、ねえ」
言われてみれば、そういうイベントは今までなかった。リリアンの空気には馴染まないからだろうか?
「その中で、私達が演奏するのよ。もちろん蓉子もね。面白そうじゃない?」
何だか、斬新な感覚だ。全くイメージが湧かない。
ピアノぐらいは弾ける人もいるだろうけど、バンドとなると未知数だし。
「ねえ、どんな曲をやろうと思ってるの?」
「それはまあ、みんなに聞いてから決めるわ。でも、やるからには格好いいのを、ね」
「まいいや。その話、乗った」
何しろ、私も江利子も若干現状に退屈している。
いや……私の場合、鬱屈している、と言った方が的確か。何にというわけでもないけれど。
「ありがとう。これで仮に蓉子が反対しても、二対一ね」
「決定したも同然、ってこと?」
「近いわね。今日の放課後、薔薇の館に集合」
「了解。ところで、バンドって誰が入るの?」
「そうね……それも、まだ考えてる途中なの。私達と蓉子までは確定として、あと誰か、よね」
「誰か、その辺の楽器に強い人はいるの?」
「私、アコギなら弾けるけど」
「……へえ、初耳。他の人は?」
「絶望的ね」
江利子がやれやれ、のポーズで大げさに頭を振る。
今の江利子の方が、よっぽどアメリカ人だと思った。
「……つまり、ほぼ0からのスタート?」
「まあ、そうとも言えるわね」
滅茶苦茶だ。いくらなんでも、滅茶苦茶だ。
「まだ引き受けるとは言ってないからね?」
「大丈夫。下手なら下手で、その時考えましょう」
それは大丈夫とは言わないだろう。だけどまあ、失敗したからといって、何がどうなるわけでもないか。
「良いわ。にしても、珍しく江利子が建設的だ」
「聖の素直さもレアよ」
「そりゃー、あんた……蓉子がどれだけ狐につままれたような顔するか、想像しただけで面白い」
意趣返しというほどではないけれど。
「あなた達、案外仲良しなんじゃない?」
「さあね」
あえて肯定はしないけれど。否定しようという気にもならないのだった。
「それじゃ、薔薇の館で」