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聖のタンバリン

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 あの練習の後、すぐに試験期間に入ってしまった。その間も、私は練習を欠かさなかった。

 これは一種の逃避だろうけど、他の暇つぶしに手を出してしまうよりは、後で役に立つ分数段マシだ。精神衛生にも良い。

 勉強して、飽きたらギターを弾き。指が疲れたら勉強に戻り。何周かして一日が終わる。

 そんな生活の最後の日。私が教室に入ると、少しだけ皆の様子が変だった。

「何かあったの? 試験範囲変わったとか」

 小さな声で、前の席の信子さんに聞いてみる。

「いや、単なる噂話よ」

「どんな?」

 スルーしても良かったけど、一応聞いておくことにした。私に関係ないこととは言い切れないし。

 まさか、私が志摩子を手籠めにしたって話が今更流行りだしたとか?

「一年生で、藤堂志摩子さん、っているでしょう?」

「え――志摩子がどうしたのっ!?」

 その名前を聞いて、胸に何かが突き刺さるような感覚を覚えた。予想が当たっていたから――っていうだけじゃなくて、もっと凄いことのような予感がした。良いか悪いかは別として。

 思わず大きな声を出してしまったせいで、教室中の視線が私に集まっていた。

 やってしまったか。

「そう。そのね、藤堂さんに祥子ちゃんが……ロザリオを差し出したんだって」

 え? 志摩子と祥子が、姉妹。

 そんなこと、考えたこともなかった。だって、姉妹にする理由がない。

 あの二人の間に、山百合会の先輩後輩以上の何かが存在しているようには見えなかった。

 それとも単に、私に見えていなかっただけだというのか?

「それで、志摩子は……受け取ったの?」

 つとめて平静を装う。焦ってみせたって、何も出ない。

「……分からないのよ。申し訳ないけれど」

 信子さんは、言葉以上に申し訳なさそうな顔をしていた。

「噂だもの、仕方ないわ。ありがとう」

 礼だけ言って、教科書を机の上に出す。本当なら、今すぐ祥子を問い質しに行きたいぐらいだけど……少し頭を冷やしてからの方が良いだろう。

 その日の試験の間中、志摩子と祥子のことが頭から離れなかった。

 志摩子が誰かと姉妹になるなんて、考えてもみなかった。考えてみれば、あれだけ良く出来た子なら……姉のなり手もいて当然だ。志摩子にしたって、ロザリオを差し出されたら、拒むとは限らない。

 志摩子を妹にしたらどうか、と考えたことは私にもある。

 だがそもそも姉妹制度とは、姉が妹を教え導くためのものだ。つまり……私が姉となると、あの子を教え導く必要があるわけだ。

 そんなことが必ずしも私にできるとは、あまり思えない。

 だが、逆に考えたらどうだろう。

 祥子なら、それが私より上手くやれるというのか?

 それにもまた、疑問符がつく。

 祥子にしたって真面目な努力家かもしれないけど……志摩子と姉妹になって、上手くいくのか?

 たぶん、私と姉妹になった方が良いだろう。志摩子のことは、私の方がよく分かっている。

 じゃあ、なぜ迷わなきゃならない?

 たぶん、志摩子の手を引いて……二人分を走るだけの力が、自分にあるか分からないから。

 おまけに、志摩子は、姉を――自らを教え導き、手を引いてくれる存在を、必要としていない。

 志摩子が誰とも姉妹にならないと思ったのは、それが原因だろう。

 さて。

 私は、どうしたら良いのか。

 私は、どうしたいのか。

 マリア様だって答えちゃくれない。神様達は大概、そんなものだ。

 答えるのは、私だ。

 

                    *

 

 その日のホームルームが終わって、私は真っ直ぐに祥子の教室へと走った。薔薇の館と関係ないところで話したかったというのもあるが……それまで待ちきれなかった、というのが正確なところだ。

 シスターとすれ違わなかったのは、一種の奇跡だ。足を止めることなく、ここまで来られた。

「祥子を呼んでくれる?」

 息を切らしながら、教室の入り口近くの子に話しかける。

「は、はいっ、白薔薇さま」

 噂はこのクラスにも広がっていたのだろう。慌てて祥子のところへと走っていく。

「白薔薇さま、どうなさいました?」

 程なくして、祥子が現れる。

「貴方、志摩子を妹にしたの?」

「いいえ、まだですが」

「そう。それじゃあ、これからロザリオを渡すのね?」

「ええ」

 なるほど。ならば、まだ入り込もうとすれば入り込む余地はある、ってわけか。

「何でそうしようと思ったのか。教えてくれるかしら?」

「彼女は、山百合会に必要な人材ですから」

 個人的な感情とかではないわけだ。だが、妹を作る理由としてナシではなかろう。

「その理由なら、少し待ってくれても構わないわよね?」

「は……?」

 止めろと言われるとでも思ったのか、祥子は困惑している。

「音楽祭が終わるまで。その後になら、好きに妹にしてくれて良いから」

 祥子の表情が、急激に硬くなっていく。

「それまでに、志摩子を妹にしようとでも?」

「場合によっては、ね」

「どういう場合です?」

「私の方が志摩子の姉に相応しいと思ったら、よ」

「……随分と、貴方に都合の良い話に聞こえますけど。噂が耳に入らなければ、貴方は志摩子を妹にするつもりはなかったんでしょう?」

 痛いところを突く。確かに、先着順の理屈であれば、祥子に優先権があったのかもしれない。

「それは認めるわ。でも、祥子が私と同時に姉に立候補するというなら、祥子の方が志摩子に相応しいと思ってるんでしょう?」

「もちろんです」

「なら、そうなった時は志摩子に選んでもらいましょう。どちらのロザリオを受けたいか」

 周りに出来ていた人の壁が、黄色い声でどよめいた。なんだか――後に退けなくなってしまった気がするが、構わない。背水の陣は、時には有効だ。

「お気は確かですか?」

 祥子が眉をひそめる。

「とても冴えてるよ。前例はなくても、理に適ってるのは分かるでしょう?」

 数秒間、祥子が考え込む。囲む子羊も黙り込んでしまい、重い静寂があたりを覆い尽くす。

 口を開いた祥子の返事は。

「……飲みましょう、その条件」

「ありがとう。話の分かる子で助かったわ」

「ええ。しかし、姉になるのは私です」

「どうだかね」

 粋がる祥子を軽く流す。わざわざ相手なんかしなくても、姉になるといえばなれる自信はある。

 志摩子は、きっと私を選ぶだろう。

 私が悩んでいるのは、選ばせるべきかどうかなのだ。

「行くわよ、祥子」

 歩き出すと、人の壁が割れて道ができた。

 モーゼか、私は。

「ふふっ」

 ちょっと面白くて笑ってしまうけど、問題が消えたわけでは……断じてなかった。

 

                    *

 

 時間は、少しだけさかのぼる。

 その前の日の放課後。祥子がマリア像の前まで来ると、姉の蓉子が先にいた。

 隣に並び、目を閉じて共に祈る。

 今日も無事に過ごせたことを感謝し――明日も、災いのないことを願う。いつも通りだ。

 神様にあまり多くのことを望むべきではない。

 祥子が目を開けたときには、隣のお姉さまもお祈りを終えていた。

「ごきげんよう、お姉さま」

「あら、祥子。ごきげんよう。試験はどう?」

「特に問題はありません。順調です」

 授業をちゃんと受けて、毎日しっかり勉強すればそうなるだろうと思う。

「だと思った。貴方、そういうところは心配いらないのよね」

 その物言いには、どこか引っかかるものがあった。

「そういうところ以外で、心配をかけていると?」

「まあ、大したことではないわ。……妹の気配が見えない、というだけよ」

 妹。祥子が紅薔薇のつぼみである以上、避けて通れない問題だが。

「……私なりに、考えてはいます」

 ロザリオを渡す相手は、もはや決まっていた。

 あとはタイミングの問題だけだ。

「そう。それなら、あまり引き伸ばすべきではないわ――彼女のためにも」

「ええ。同感です」

 志摩子の居場所を落ち着けるというのは、そういうことだ。遅くしたって、何の良いことない。

「試験が終わったぐらいでロザリオを渡そうと思っています」

 言った。

 言ったからには、渡さなくてはならないだろう。

 それから、気づいた。

「見抜かれていますね」

「ええ。見ていれば分かるわ」

 お姉さまが、優しく頷いた。

「志摩子に居場所を与えてあげたいのは、私にしても同じだから」

 微笑みを浮かべているお姉さまの中に、祥子は何かの翳りを見た。それは、微かではあったけれど、確かにそこにあった。

「……お姉さま?」

「方法は、それだけじゃないのだけれど……とにかく、頑張るのよ」

「ありがとうございます」

 その言葉の意味を、次の日になって知ることになった。

 志摩子に居場所を用意するのは……祥子だけでなく、白薔薇さまでも良かったのだ。

 

                    *

 

 祥子の前で宣言してから、私達の間には茫洋として緩やかな緊張感が流れていた。ここで言う私達とは、私と祥子だけだ。

 祥子と揉めているところは、多くの生徒が見ていたはずだが、志摩子が特に気まずそうでもないということは、この話は伝わっていないのだろう。

 知っていて平然としている……という可能性もなくはない。だとしたら大物だ。

 ともかく、悪いことじゃない。お陰で、曲の練習にはむしろ身が入っている。

 こんなことを気にして失敗したら、それこそロクでもないから。祥子にしても、その気持ちは同じだろう。

 というかむしろ、迷いを振り切るためにこそ、練習していた。

 クーラーをガンガンに利かせた中で、ギターを弾き続ける。微妙に不健康な過ごし方だが、窓全開で歌うわけにもいかない。

 何度も歌っているうちに、私はあるイメージに取り憑かれはじめた。この曲のせいだ。

 『1000のタンバリン』。元の歌詞は散文的で、必ずしもストーリー性のあるものじゃない。断片的な景色や物や感情が、いくつも繋がったような歌だ。

 折れた十字架。まだ生きてる。お祭り騒ぎの後。止んだスコール。緩やかに点滅するネオン。見上げた星空。

 こんなフレーズが思い起こさせるのは――去年のクリスマス。悲しみの果てで見た景色。

 全部こんな歌ならわざと歌わせたのか、とも思うけれど、そうでないフレーズも多い。得意げな男の子だのなんだの。だから、私が気にしすぎなだけなんだろう。

 だけど、歌うたびに目の前に、あの頃の景色が蘇るような気がする。それはお聖堂であり、真夏の雨の温室であり、最後の凍える駅であり……その中では、いつも栞を追っていた。

「はぁ……」

 歌い終わって、ため息が漏れた。

 思い出に囚われすぎているとは思う。だが、あの時のような全存在を賭けて恋というのは――危険なだけに、甘美なものだった。

 今にして思えば、生まれ持った両手を繋いでいたどころの騒ぎじゃない。両手両足で抱きついていた。それも、私が一方的に。

 栞の両手は、そんな私を受け止めるために使い果たされたんだろう。

 ……今、幸せにしていると良いな。

 甘い感傷。ダメだ、この気持ちに浸ってても……何もできる気がしない。

 吹き飛ばすために、私はまた、イントロを弾き始めるのだった。

 

                    *

 

 夏休みまっただ中。最後のスタジオでの練習にやってきた。前払いの練習代は、先輩三人で割り勘だ――。

 財布の中が徐々に寂しくなっていくのがありありと分かるが、それももう最後。良かった良かった。

「結構お金かかったわね、これ」

 蓉子に耳打ちする。江利子はどーせ兄が頼りになりすぎるし、祥子に聞こえたら自分が払うとか言い出しかねない。

 祥子にも一部負担してもらう、というのは先輩としてダメだ、とまでは思わない。

 だが、祥子だけが払うというのは流石にどうかと思うし、四人で払うとなったら志摩子も払って五等分になるだろう。

 それは何だか、嫌だった。彼女をそこまで巻き込みたくはない――勝手なようだけど。

 そうなると、私達で三等分するしかなかった。

「仕方ないわよ」

 蓉子が、切実そうにため息をついていた。

 そんな諸々の迷いも、練習が始まれば吹っ切れるだろう。

 二重の扉を開けて、スタジオに入る。少しだけ、気分が安らぐ。

 扉を隔てた内側では、純粋に演ることだけ考えていればいい気がするから。そのためにだけ、悩めば良いから。

「ねえ、私から提案があるの」

 蓉子が口を開いた。

「なに?」

「間奏にギターソロを入れてみたいんだけど、良いかしら?」

 ギターソロ。元の曲だと、存在してないけどあっても悪くはないだろう。

「紅薔薇さまが、ってことよね?」

「そう。間奏の途中で一瞬音が止まるでしょう?」

「ええ」

「そこからギターソロをやって、また音が止まったところから元の曲を再開、という形にすればあまり弄らずにできるわ。どう?」

 どう、と聞かれても。特に問題は感じないが、蓉子がギターソロ。ううん……分からない。

「良いと思うけど、どういう風の吹き回しよ?」

 やってるうちに楽しくなってきちゃったのか?

 あり得ない話じゃないが。

「万が一……でなくてね、何というのかしら」

「紅薔薇さまも青春したくなったのかな?」

 江利子や。そーだったら本当にすっごく面白いぞ。

「まあ、そう思ってくれて構わないわ」

 あれ、本当にそうなの?

「……案外面白くなかった」

「何がよ」

「白薔薇さま、いくらお姉さまだって、青春に時間を費やしたくなるぐらいあるでしょう」

 祥子がフォローをしようとして、あんまりフォローできていなかった。

「……く、ダメだ、あっはっはっはっ、そうか、青春したくなるよなー、蓉子さんや?」

「良いじゃないの、青春。ねえ、志摩子?」

「ええ」

 多くを語るべきでないと判断し、頷くだけにしたようだ。その判断は正しい。

「青春だけなら面白くないわよ。蓉子の青春、ってとこよね」

「私に青春はないと言いたいの?」

 蓉子がふてくされた顔で聞く。

「ふふ、確かに想像しがたいわね」

 江利子も楽しげに頷いている。

「それじゃ、青春があるのね?」

「全く、誰のせいよ、誰の」

 首を横に振って、蓉子が呟いた。私が蓉子の青春を奪ったわけでもないけど、何か申し訳ない気分になった。

「ともかく、ギターソロやるから。みんな良いわね?」

 強引にごまかされたところで、最後の練習が始まった。



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