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聖のタンバリン

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 弾き始めてから一ヶ月。

 歌の音程に多少は説得力がつき、ギターも怪しいながら、一応曲の最初から最後まで流せるようになった。

 他の皆も、だいたい似たような状態なんじゃないかと思う。

 そんなわけで、日曜日の朝、私はギターと共に、下りの電車に揺られていた。向かう先は、郊外のT市にある練習用のスタジオだ。

 若者の街であるところのK駅あたりの方が、むしろそういう場所はあるのだけど、リリアンの生徒と会う可能性が非常に高そうなので避けたらしい。

 梅雨明けはまだだったはずだが、街には燦々と陽が差している。高い建物が少なくて空が開けている分、より眩しく感じる。

 こりゃあ、昼間は暑くなりそうだ――。

 待ち合わせの駅には、既に全員が揃っていた。

「おはよう。みんな随分と早いねえ」

「あまりお早くないわね、白薔薇さま」

 江利子が焦るそぶりもなく答えた。

「時間きっかりまでしか練習できないんだから。時間きっかりに始めたくなるでしょう?」

 蓉子がよく分からない理屈で答える。天井から時計を見てみると、確かに開始時間の五分前を指していた。

「その通りかも。それじゃ、急ぎますか」

 私にしても。早く荷物が楽器として活躍するとこを見てみたいのは、確かだった。

 一番遅く来たけれど、一番早く歩き出す。

「聖!」

 蓉子が、大声で私を制した。

「そっちじゃないわよ」

「ありゃ」

 急ぎすぎても、良くないようだった。

「子供みたいね、白薔薇さま」

「ふふっ、その通りかも」

 こんな風に、素直に何かを楽しみだと思うってのは、子供の時以来久しくなかった気がする。

「あかんわな、こりゃ」

 怪しげな口調でオーバーに肩をすくめる江利子は放っておいて。

「今度こそ、行きましょう?」

「ええ、こっちよ」

 そこからは、蓉子がガイドさんと化していた。見慣れぬ街を一直線に先導し、戸惑うことなく怪しげなビルに入っていく。カウンターでは、ちょっと怖いけど悪い人じゃなさそうなお兄さん相手に書類を書いて。

 その間、私達はただ目の前のものを、眺めたり聞いたり驚いたりしているだけで良かった。

 先頭を歩く蓉子が、割り当てられた一室の扉を開ける。続いて、私、江利子、祥子、志摩子の順で入っていく。

「リーダーは蓉子で決定ね、このバンド」

「リーダーになると、何らかの特典があるのかしら?」

 蓉子が楽しげに聞く。

「そりゃあ、偉くなるわよ。ジュースを買ってこさせた後で、二百円渡して釣り銭を取らなくなるぐらいには」

「偉いっていうか、単に金銭感覚が麻痺してるだけじゃないの?」

 ……思っていた以上にしっかり者だった。というか、財布の紐が堅かった。

「蓉子、結婚したら良い主婦……いや、ないか」

 純粋に、主婦をやってる姿が思い描けない。結婚しても、普通に働いてそうだ。でもって夫が家を守るとか。

「誰が吝嗇主婦よ?」

「そうじゃないんだけどね」

「吝嗇と薔薇って似てるわよね。字面が」

 江利子がまた話を引っかき回そうとした時。

 じゃぁぁぁああん、と、豪快なシンバルの音が、密室中を震わせた。

 志摩子が、ドラムの棒を持ったまま、目を真ん丸くして立ちつくしていた。自分で叩いといて驚いたらしい。

「あ……音、大きかったですね」

「本番はもっと広いんだから、これぐらいで良いと思うわよ。そもそも、ドラムの音量って調節できるっけ?」

「ほぼ無理ねえ」

「じゃあ、みんな志摩子の音量基準で」

「ふふっ、賑やかになるわね」

 ベース片手に江利子が言った。

「私達もセッティングしませんか?」

 そう言う祥子はいつの間にか、キーボードで色々試していた。

「そうね。コードはギター側から順に繋いでね、その方がアンプに優しいから」

 そーゆーもんだったのか。覚えておこう。

 練習の時には使ってなかったエフェクターに、普段よりやたら大きなアンプ、それにいつものギターを繋いでスイッチオン。

 じゃかじゃかとかき鳴らしてみる。

 ……音が大きいのは良いけど、なんか力強さに欠けるな、さっきの志摩子のドラムに比べると。

 あ、それでエフェクターが必要になるのか。適当につまみを右端まで回してから、もっぺん弾いてみることにした。

「これだわ」

 さっきと同じように弾いてるはずなのに、じゃかじゃか、というよりはぎゅいんぎゅいんと鳴っている。歪みきった音は、たぶん元の曲にも合うだろう。

 楽しくなってきた。曲の最初のとこを弾いてみると、丁度同じように機械を弄っていた江利子が乗っかってきた。

 ギターとベース一本ずつだけでも、案外様になるものかもしれない。なんせ、ドラムとギター一本が足りないはずなのに、何ら違和感がない。

 しかし、歌い出しの部分まで来て気づいた。

「あ、マイクが要るわね」

「気づくのが遅いわよ、ほら」

 蓉子がギターから手を離して、傍らのマイクをよこしてくれた。……ん?

「なんだ、蓉子も今入ってたのね」

「なんだって随分じゃない?」

「道理で。二人にしては、賑やかだと思ったから」

 言いながら、マイクを繋いでいく。ええっと、たぶんこの「ゲイン」だよな、音量って? つまみをまた右端までひねって、と。

 くきぃっぃいぃっきぃぃいん。

「うわお」

 とてつもないハウリングが響いたので、慌てて左端まで戻す。

「ぁーあーあー」

 適当に声を出しつつ、ボリュームを合わせて。うん、だいたいよかろう。

 でもってちょっと低すぎるマイクスタンドを下げ……あれ、どこで調整するんだろ? 上から下まで見回した結果、目に付いたネジを回してみる。

 高さが変わらない。違うな。

 腰より少し下ぐらいの位置で上下に分かれていて、上側が傾いている。ということはその角度を……真っ直ぐに変えたとしても、長さが足りない。

 前の人は随分と背が低かったのか?

 それとも、実はこういうものなんだろうか?

「あら、あったわ」

 下の方で高さが調整できるようになってた。

 良かった。常に傾きながら歌うなどという、不条理きわまりないポーズはしなくてすむわけだ。

 マイクの角度を決めて、もう一度。今度は歌い出しの少し前から弾いてみる。

「折れってっるーじゅうっじっかぁー」

 やはり一人だと、音が大いに寂しい。歌い出しから先だと、ギターのうち私が弾くのはほんの一部だけだから。

 音量が丁度良いのかどうかもよく分からないが、それは他の皆のセッティングが終わらないと……って、私がさっきまであれだけ手間取ってれば、終わるか。

「よし。みなさん、準備はよろしいでしょうか」

 見回せば、志摩子を除く三人が頷いた。

「すみません。もう少しお待ちください」

 そっか。ドラムじゃパーツが多い分、私より時間かかるわな。

「そんじゃみんな、しばらく各自で練習してて」

 勝手にそう宣言してから、志摩子の隣に歩み寄る。真ん中の左右に二つあるドラム……スネアと、もう一つが、なんだっけ? ともかく、それの高さを合わせている。

「どう? 何とかなりそう?」

「はい、もう少しで」

 口ではそう言ってるが、むしろ焦ってるようだ。……悪いことしたかな?

 それにしても、一心不乱にフロアタムと向き合っている――そうだ、アレはフロアタムだ。さておき、根が真面目なんだろうな。表面的なことだけじゃなくって、生きることに対して、とでも言うのか。

 以前に蓉子が、私と彼女を似ていると評したが、この点に関してはいまいち当てはまらない。まあ、全てが類似していたら怖いから、一向に構わない。

 さっきから見ていると、あまり手が動かない。調整用のネジを回そうとして、苦戦しているらしい。

「あの……」

「回らないの?」

 隣から、彼女が苦しんでいたネジに手を伸ばす。指先が重なる。白磁のような肌。何となく、見つめてしまう。指先を絡め……ようと思ったら、志摩子が慌てて手を引っ込めた。ちょっと残念。

 銀色のネジを指で挟み、力をかける。……動きはみられない。

「前の人、ずいぶんと頑張ったのねえ」

 こんなとこで頑張らないで欲しい。

 たぶん、以前なら指の皮が悲鳴をあげてただろう、ってぐらいに力を入れたところで、呪いみたいに止まっていたネジが回ってくれた。

 指先の硬さがこんなところで役に立つとは思わなかった。

「勝ったわ」

「ありがとうございます」

「他にもあったら言ってね。なんせ、今の私は鋼鉄の指だから」

「ふふっ、分かりました」

 見ていると、あと少しという言葉は本当だった。今のネジのところと、シンバルだけ合わせて、一通り形が完成したらしい。おっかなびっくりという様子で、志摩子がスティックを手に取り、叩いてみる。当たり前だが、あんまり音が出ない。

 そう思って、今度は力一杯叩き始める。最初は感覚を確かめるようにゆっくりと。徐々に勢いがついて、自然と小気味良いビートになる。

 私も演奏するかな、と思ったら何か違和感が。

「あ」

 さっき合わせたフロアタムが傾きだす。思わず声を上げた。

 倒れる! なんて言う間もなく、実際に倒れていた。

「きゃっ!」

 目標を叩き損ねたスティックが飛んでくる時、志摩子がかすれたような悲鳴を上げた。

「大丈夫?」

「ええ。痛いですが、どうにか」

 笑ってみせようとする志摩子の表情が、若干苦しかった。どうやら、倒れたフロアタムが右足に当たったらしい。

「ちょっと見せてね」

「あ……」

 ショートパンツから伸びた白い脚を取る。作り物みたいに綺麗だけど、柔らかくて温かいし、傷つければ……ちゃんと、血が出る。

 膝の外側に、派手な擦り傷ができていた。

「うわ、結構痛そ。洗ってきた方が良いわね」

「それじゃ……あっ」

 立ち上がろうとして、志摩子がよろめく。慌ててその肩を押しとどめる。

「ここで転んじゃったら、ドラム巻き込んで大惨事よ。ついてくわ」

「面倒おかけします」

「良いの。お互い様なんだから」

 というか、私が志摩子を見初めなければ、ここでドラムを叩いてなければ膝も怪我してないとすら言える。

「迷惑かけてくれて構わないのよ。私だって――ううん」

 お姉さまに迷惑をかけっぱなしだった、という言葉は飲み込んだ。だって、そうなったら……私が志摩子のお姉さまにならないと理屈が通らない。

『――あなたの未来の妹にでも』

 そんな懐かしい言葉が、脳裏を掠めていった。

 そうか。志摩子を妹にする、か。あまり真面目に考えていなかったけれど、悪くない気がしてきた。

「白薔薇さま?」

 志摩子が、怪訝そうに私を見ている。そうだ、話は途中だっけ。

「あー、要するに、だ。遠慮しなさんな、ってことよ」

 強引にごまかしたけれど、志摩子は頷いてくれた。頼もしい子だ――下手すれば、私より。

 

 数分後。

「我慢してね」

「ん……くぅ」

 志摩子が、押し殺した声をあげた。

 白い液体が、彼女の傷から、透き通る肌を伝い落ちる。水滴が通ったところが、輝きを増している。

「痛い?」

「少しだけ」

 ならば結構痛いんだろう……そういう子だ。

 ちょっと変な気分になってくる。

「それじゃ、えい」

「きゃ」

「気持ち良いでしょう? 冷たくて」

 もう何滴か、白を落とす。

 火口のような痛ましい傷。願わくは、その一滴が雪となり炎を冷まし、白雪の肌を取り戻さんことを。

 彼女の肌と向き合っていると、何かしたい衝動に駆られる。その傷は、彼女の内側だ。

 血を一滴残らず舐め取りたい。そしたら、どんな顔をするのやら。

 恐ろしい妖怪でも見るような目で見てくれたら救いもあるけれど……たぶん、彼女は私をあくまで人として理解しようとするんだろう。耐えられそうもない。

 私の頭にこそ、この白い消毒液が必要かもしれない。

「あの……お疲れでしょうか?」

「ああ――何か、膝を覆うもんを履いてきた方が良いわね」

 こんな無防備な素肌が晒されていなければ、怪我もしなければ……私も、変なことを考えずに済む。

「とにかく動きやすいもの、と考えたのが失敗でした」

 そういえば、志摩子の私服って見たことなかったな。他にはどんな格好してるんだろ。

 聞いてみようかと思ったけど、時間もないので、次の楽しみに取っておくことにした。

「それじゃ。ちょっと痛いと思うけど、演奏できる?」

「はい、白薔薇さま」

 

 それから私達は初めて全員揃った状態で演奏をして……課題が山積していることを思い知らされた。

 音楽祭までの残り時間、約三五日。



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