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聖のタンバリン

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「ふぅ」

 家に帰ってきて、真っ先にギターのケースを床に置いた。楽しむのはその後だ。

 曲を決めて最初の土曜日、私たち三人は早速、練習に必要なものを一通り買い揃えに行ってきた。急なようではあるが、よく考えれば全く時間はないのだ。あと二ヶ月かそこらで、目の前にある得体の知れない楽器を弾きこなさなければならない。

 そのためには、結構まじめに練習しないと不可能そうだ。なんせ、教本を開いてみたらいきなり『数ヶ月で弾けるようになる、などという甘い考えは捨てましょう』だ。完全に見透かされているというか、何というか。

 幸いなことに、私のギターはあくまでボーカルのおまけであって、それ自体はさほど難しくない。本当に大変なのは、蓉子だろうな。

 初めて知ったのだが、江利子は実はアコギなら弾けるらしい。何でそれなのにベースなのか聞いてみたら、「もうできることをやったってつまらないでしょう?」だそうだ。実にいい性格をしている。

 志摩子は志摩子で、家を探したらドラムが出てきたらしい。何でも、親御さんが昔使っていたとか。しかし、家でドラム叩いてたら、普通はやっぱり隣人か家族に怒られそうだけど、大丈夫なんだろうか。今度会ったときに聞いてみよう。

 さて、目の前に意識を戻す。担いできた荷物は、改めて見てみると結構な量だった。アンプとかまで今日買ってくる必要は、流石に無かったかもしれない。

 ええっと、まずは……とりあえず何も考えずに弾いてみよう。

 ピックを探し出し、適当な持ち方で――この場合の適当はもちろん、適切な、じゃなくてえーかげんな、の方だ――そんな持ち方で、ギターを支えて。本の一節に載っている指の形を真似ながら、かき鳴らしてみる。

 じゃらん、と。

 怪しげな不協和音が、心細く部屋の中に響いた。どうやら、指が関係ない弦まで押さえてしまってる感じだ。

 指を立てて、もう一度弾く。

 さっきよりは、不協和音が若干力強くなった。あとは、音階をどうにかすべきだろうな。

「あー……まずは、チューニングかな」

 教則本とチューナーを探しだし、弦の群れと戯れる時間が始まったのだった。

 

                    *

 

 月曜日の朝。リリアンに向かうバスの中で、不完全燃焼に終わった土日のことを思い出す。

「うー」

 土日延々ギターを握って練習しよう、と思ったまでは良かったんだけど、一時間ぐらいで指の痛みに耐えかねて止めた。出血するところまで行っちゃうと、治るのに時間がかかりそうだし。

 とりあえず、単音なら一通り弾けるようになってきたので、まあ上出来かもしれない。その後、コードを弾く練習を始めたあたりで、指が痛くなってしまったのだ。

 思い出してみよう。

 音のCを鳴らす時の指を思い描く。その後、DEFGと進んで。高い方のCまで思い出したところで、どんな弦でも出せない綺麗な音がした。

「ごきげんよう、白薔薇さま」

 手元から顔を上げる。志摩子が立っていた。気づかなかったが、車内にいたらしい。

「おはよう、志摩子」

 彼女の視線が、私の手を訝しげに見ている。気づけば、手元だけがエアギター状態。形を思い出すだけじゃなく、しっかり指まで動かしていたらしい。私の指は、存在しないギターの高い方のド、もといCを押さえていた。

 私は案外ギターに飢えているのか。昨日あんまり練習できなくて、出鼻を挫かれた形だからということを差し引いても、案外気に入ってしまったのかもしれない。

「ああ、これね。あんまり、練習できなかったものだから」

 そういえば、薔薇さまバンドの話は内緒にしておいた方がいいんだっけか。箝口令は特に敷かれていなかったけれど、そうしといた方が後々楽しそうだ。

「このことは、ね?」

 人差し指を口に当て、小さな口封じをしておく。志摩子は頷いてくれた。たぶん、ある程度大丈夫だろう。

「そういえば、今度会ったら聞こうと思ってたんだけど……」

「なんでしょうか」

 ドラムを叩きまくってるんだろうか? っていうのは、さっき自分で言ったことと完全に矛盾していたので、若干離れたところで質問することにした。

「志摩子の家って、広いの?」

「えっ……一応、家の敷地という意味では」

 一瞬だけ驚いた後、困ったような顔をして答えた。何か事情があるのかもしれない。

「そっか。じゃあ、大きい音立てても、割と大丈夫なのかな?」

「ええ。でも、昨日試してみたんですが……本物でやるのは、やはりちょっと……」

 必死に言葉を探しながら喋っている、その様子が何だか面白かったので、もう少しこの危なっかしい会話を続けることにした。

 そうか、普通はドラムって練習パッドとかクッションとかで練習するんだったっけ。

「練習に使えるものは、家にあった?」

「そうですね。それも、父が使っていたものが」

「志摩子のお父さん……凄いねえ」

 ドラマーの娘が志摩子になるのか。そう考えると、何か凄く不思議だ。

「ええ、若い頃は色々していたようですね」

 志摩子は、窓の外斜め上の方を見ていた。外にあるのは、見飽きてきた曇り空。志摩子が見ているのは……何だろう、ね。

「そういえば、私は指痛くなっちゃったんだけど。志摩子は、筋肉痛とか大丈夫?」

「はい。まだ、激しい動きをするところまで行っていませんから」

 そうか、ドラムだと慣れてからの方が大変なのか。大して練習してなかったってことは……彼女の場合あんまりなさそうだから、たぶん本当にノーダメージだってことなんだろう。

「良いねえ、若いって。はっはっ」

「白薔薇さまったら、ふふっ」

 何となく、笑いあっていた。

 春の日差しを浴びた子猫みたいな微笑ましい気分。久しぶりだ――前にこんなことがあったか、思い出せないぐらいに。

 悪くないと思った。

 

                    *

 

 その日の放課後、また薔薇の館に足を運んだ。徐々に、生活サイクルに組み込まれつつある。良い傾向だ。

 私たち薔薇三人の他には、祥子と由乃ちゃんだけだ。令は部活、志摩子は委員会と散っていったらしい。

「あの、白薔薇さま」

 紅茶をみんなの前に置いてから、由乃ちゃんが言った。

「どうしたの?」

 私を名指しで質問、というのは珍しい。

「妙な噂を耳にしたんですが……心当たりはありませんか?」

「まさか、薔薇さまバンドの話が流れてるとか?」

 朝、志摩子と話したことから推測されてしまった可能性はないでもない。具体的な話はしないように努めたから、大丈夫だとは思うが。

「いいえ。あの……志摩子さんを、手籠めにしようとした、ことになってるんです」

 手籠めにする、って。由乃ちゃんの口からそんな言葉が飛び出したのも意外だが、それが噂になってるってのはなお意外だ。

「えっと。私が、志摩子を、ってこと?」

「……はい」

 言いにくそうに俯いてしまった。まあ、当たり前だ。本当だったら結構な問題だろうし、嘘なら嘘で気まずい。

「まっさかー。どこからそんな話が出てきちゃったのよ?」

「どうやら、朝のバスの中でそんな話をしていた、と」

 ええ? 確か、あの時したのは殆ど楽器の話で……。

 『大きい音立てても、割と大丈夫なのかな?』

 『昨日試してみたんですが……本物でやるのは、やはり……』

 『筋肉痛とか大丈夫?』

「……あー」

 このあたりの台詞を曲解すると、そういう風に取れるのかもしれない。曲解しすぎなきらいが大いにあるが。

「何を納得しているんですか?」

 祥子が、少し上擦った声で問うた。

「いや……ちょっと想像力の逞しい子なら、そういう風に勘違いしてしまうのかもしれないな、っていうような会話はしたのよ」

「想像力が逞しい、ですか」

 祥子はまだ訝しげだ。

「そうね。というか、彼女達にそうなって欲しい、と心のどこかで思ってる人よ」

 江利子が、少しだけとんでもないことを言った。確かに、そうでもなければあの会話から、そういう結論には至らないだろうけど。

「待って。何で私が志摩子を手籠めにすると嬉しいわけ?」

 私がそーゆー趣味だとして、誰が得をすると言うのか。

 あるいは、志摩子が手籠めにされた方が良かった人がいた? そんなに志摩子がどこかで恨みを買っている……というのは考えにくいけど。

「楽しいからでしょう?」

 事もなげに答えてくれた。

 当たり前のことを、忘れていた。

 ここの子羊達はいつも無邪気で、さえずるように噂話をするんだっけ。

「本当は、何の話だったの?」

 蓉子が、安心したような面もちで聞く。

「ギターとドラムの練習についてよ」

「全然関係ないじゃないですか」

 由乃ちゃんはどこか不服そうだ。

「関係ある方が良かったのかなー、由乃ちゃんは?」

「そ、そんなことないですよ?」

 焦ってる焦ってる。ちょっと可愛い。

「ふふっ、どうかしらねえ?」

 江利子が不敵に笑っている。

「ないったらないんですっ!」

 この二人、仲が良いやら悪いやら。おばあちゃんと孫、って感じじゃないんだよなあ。不思議だ。

「じゃあ、そういうことにしておいてあげよう」

「そうね。それと、バンドの話はしないこと。あくまでサプライズで通す、って話はしたよね?」

 蓉子が纏めつつ、突っ込んできた。そうだったのか。結構、聞いていなかったことが多いものだ。

「分かった。じゃあ、手籠めの話はして良いのね?」

「手籠めの話もダメね」

「じゃあ、実際に手籠めにするのは?」

「もっとダメ」

「蓉子……好きだ」

「ちょ、ちょっと!」

 椅子を派手に倒して、顔を真っ赤にしながら立ち上がる。深く考えずに迫ってみたが、意外と良い反応をしてくれるじゃないか。

「ふっふっふ、紅薔薇の君も愛いやつよのお」

 手を怪しく蠢かせながら、じりじりと近づいていく。さて、この後どーしようかなあ?

「だから、手籠めにするなって言ってるでしょうが」

 蓉子はしばらく呆けていたが、我に返ってしまったらしい。

「そう? 合意の上でなら手籠めじゃないと思うけれど」

 江利子が口を挟む。妙なことに詳しいな。

「あ、そうなの?」

 ……無理矢理しなければ手籠めじゃないのか。

 ということは、噂では私は志摩子を無理矢理押し倒したことになっているのか。変なの。

「合意しないわよ……こんなところで」

 蓉子が吐き捨てるように言った。ん?

「こんなところ、じゃなかったら良いの?」

「言葉のあやよ!」

 怒ってみる彼女は、ちょっぴり本気で「ういやつ」に見えたのだった。そんなこと言ったら、もっと可愛くなるかな……いや、ただ怒るだけになりそうだ。

 つまらん。却下。

「あの、お姉さま」

 祥子がやや遠慮がちに口を開いた。君も蓉子で遊びたい口か。……本当にそうだったら面白い。

「どうしたの?」

「私のパートがありません」

「あ」

 言われてみれば。スコアには確かに、鍵盤楽器に関する記述はなかった気がする。蓉子は珍しく頭を抱えている。唸り声でも聞こえてきそうだ。

「曲を先に決めるべきだったわね、黄薔薇さま」

「そうねえ。どうしたらいいと思う、祥子?」

「……存在しない譜面を弾くのは、私にはできかねます」

 祥子が抜けたら三薔薇さま+志摩子か。その編成だと、なんか変だ。……あ、そうか。

「そうなると、祥子がドラム叩く形の方が、組織的には正しいと思うんだけど、どう?」

「それもそうね。志摩子、それで良い?」

 江利子が、優しく問いかける。

「ええ。私は、構いません」

 ハッキリ頷いた志摩子を見て、少し寂しさを覚えた。まあ、彼女はあくまで手伝いだから当たり前のことだ。

 なのに少しだけ、寂しいような気がした。

「待って。ないなら、作れば良いと思うの」

 悩みの森から帰ってきた蓉子が、妙なことを言い出した。

「お姉さま?」

「作る、と言いますと?」

 由乃ちゃんが、率直な疑問をぶつけた。

「だから、そのままよ。別に、0から楽譜を書くわけじゃないんだから、何とかなるでしょう」

「……なるほどねえ。確かに、今あるパートを適当に繋げて演奏してもらえば、大丈夫かな」

 適当なようだけど、別に不協和音が発生したりするわけでもなさそうだし、何より五人編成にできる。

 それで何が嬉しいのか、と言われても困るのだけど、あえていうなら。私の中に、五人で演奏するバンド、という認識が築かれてしまっていたから。

「そうねえ。是非やってみましょう。良いわね?」

 江利子が頷いた。

「ええ」「はい」

「それでは、祥子の譜面はお姉さまである紅薔薇さまが用意する、ということで」

「……分かったわ」

 蓉子はまた悩みの森に迷い込みそうな顔をしていたけれど、結局、元の鞘に収まったのだった。

 

                    *

 

 F、と言われて何が思い浮かぶ?

 私は、今私が作ろうとしている忌まわしい指の形と、あまり口にすべきでない英単語しか思い浮かばなくなってきた。

 誰だ、人差し指一本で両端の弦を押さえようなんて考えた輩は。ファ×ク!

 というわけで、その次の土曜日。私達は、江利子の家に集まって苦しんでいた。

「何なのよ、これはー」

「焦らないの」

 そういう江利子だけが、何ら焦っていないのが、なお腹立たしい。じゃあお前が弾いてみろ……と言ったら弾けるところまで含めて。

「にしても難しいわね、これ」

「蓉子、人差し指はこうよ、こう」

「あ、向きが違うのね」

 こう、と言われた指の形がちょうど私からは見えなかった。

「こう、ってどうなの?」

「そうそう、それよそれ」

 ……見えない、っての。

「弾くわね」

 じゃらんと響いたその音は、確かに懐かしい感じで安定感があった。

「お、できてる。あとはそれを忘れないようにしてね」

「うわ、先越された」

「ふふ、すぐに追いつくわよ」

「大丈夫、私が阻止するわ」

 蓉子はともかく、江利子が滅茶苦茶なことを言っている。

「くい止めないで手伝ってよ」

「やだ」

「どーしてよ」

「聖が困ってる方が楽しいんだもの」

 ……なんでこんな女に教わらなければならないんだろうか。疑問だ。

 だいたい、普通に考えたら。

「蓉子が困ってる方が可愛らしくて良いと思うけどね、わたしゃ」

「な、何を言い出すの貴方はっ!」

 蓉子が軽く怒ってる……とゆーよりは焦ってる。よくわからんヤツだな。

「それは感性の違いね。残念」

 江利子が中世の貴族みたいに余裕溢れる笑みを浮かべている。

 見ている私はさしずめ庶民か。革命でも起こそうか。

「私も非常に残念だわ」

 残念だ。江利子の助けは、勘定に入れないことにしたからね。

 

                    *

 

 弾き始めてから二週間。

 連日指が痛くなるまで練習していたら、私の腕は加速度的に上達を見せていた。

 飲み込みが良くなったわけではない。指が痛くなるまでの時間が伸びたのだ。指先の皮が、明らかに堅くなってきている。

「鋼鉄の指を持つ女、か」

 呟いてみたけど、格好いいというより脱力感があった。

 まあ良い。その代わりに得たモノは大きい。苦しめられたFのコードも、単体ならサッと弾けるようになった。

 CDプレーヤーの再生ボタンを押して、原曲をバックに自分で弾いてみる。

 小節の変わり目とか、歌っていないのでギターが難しくなる部分とか。そういうところ以外は、案外マトモに弾けるようになってきた。

 ……そこまではいいんだが、これをやりながら、自分で歌わなくてはならないんだよな。歌の方をさっぱり練習していなかった。

 リピートで2回目が始まるのに合わせて、弾きながら歌おうと試みる。

「折れってっるーロザッリッオーっ♪」

 あ。一行目から、歌詞を間違えた。

 似てるっちゃ似てるけど、ロザリオじゃなくて十字架だ。

 それに気を取られて、弦もずれる。どっかずれた音が部屋に響く。

 リズムを取り戻した頃には、サビに突入していた。

「だってスコールはー、降ーりー止ーんでーっ!」

 元の曲はただ叫んでるだけみたいに聞こえたけど、歌ってみると音程が取りづらい。男声の元の音程をどれだけずらすか、という点を除いてもだ。

 意外と丁寧に叫んでいた、ということだろうか。

 ……やはり、先は長い。



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